2009年11月 8日 (日)

日常行動のためにー1

Dsc02523 (公園でカワセミを写す人々)

願望・役割・徹底が強みを作り明日を創る

(夢・ビジョンが必要)

 人にはそれぞれ夢があり望みを持っている。それをはっきり描いている人とそうでない人がいるが、両者を見ていてその人生に差がでるようだ。会社でもビジョンというとないといわれることもある。しかし何を目指していますかと聞けば、企業のこんな形という姿が出てくる。個人でも会社でも必要なものの第一項目と思う。

(欲求・ニーズ・願望)

 行動科学ではマズローの欲求の5段階説が知られている。

  A:生理的欲求 B:安全や安定を求める欲求 C:親和・帰属の欲求 

  D:承認・自尊の欲求 E:自己実現の欲求 である。

 これを働く人の場合で考えれば、

  A:まず給料である。生活を維持しなければならない。

  B:給料が満たされると、労働条件、働く時間や職場環境、雇用の安定性が出てくる。

  C:仲間と協調して仕事をしたい、仕事は公平・公正な評価を望み、

   昇進等も制度化して欲しい段階が出る。

  D:仕事の役割を明確にし、自発的に仕事ができるようにする。

   個人の認識と尊厳が大切である。

  E:自分の成長を図り、能力を発揮したい、創造的な仕事を望む。

 一般的にキーワードで考えれば、

  A:便利さ、価格の安さ、空腹から逃れたいとなり“維持性”といえる。

  B:自然さ、品質、恐怖から逃れたい等“本来性”と考える。

  C:仲間と親しくしたい、楽しみたい、さらに一緒に仕事をする協働となり、

   “発展性”である。

  D:個性や信頼を大切にし、プライドを傷つけられたくない。“高度性”に上る。

  E:心豊かに人間的向上を図る“文化性”となろう。

 このような欲求・望みはだれでも持っている。これを明らかにすることは、自分の生き方を知ることであり、自己の発見となる。

(禅寺で唱える)

 中学5年の時、禅の体験に禅寺へ行った。朝のお勤めに出、食事の作法も教わる。毎日“誓いの言葉”を全員で唱える。「われらはこの道場において、無我の三昧境を体験し、もって日々の生活に具現せんことを期す」と。今でも覚えている。そして庭の草むしり、山の柴刈り、何をやるのもみなその分野の神様になることといわれる。4日間か?体験修行が終わり、それぞれの成果はまちまちであった。しかしいつも一言ある者も何も文句はない。これからの毎日の生活に生かす、誓いの言葉(目的)の効果であろう。

(“棒倒し”を勝ちたい)

 海軍兵学校で2号(2年生)になったときである。毎週土曜日には棒倒しをやるが、私たち72班は出ると負ける。次も負ける。負けると寒い中を残されて、1号生徒から組み方が悪い、攻撃の仕方が悪いと特訓である。何回も負けたある日、運用という学科を教えていた部監事の時間である。いつも居眠りが出るような講義の部監事が黙って我々をにらんで講義を始めない。今日は少しおかしいなと思っていると、爆発的な大きな声で「貴様らは何をしているか!」という。何を言い出すのかと思って唖然とすると「あの棒倒しは何か!、出ると負ける、出ると負ける、いったい何をしているのか」。普段怒らない人が怒るとこんなに怖いものかと我々はビックリしてしまった。今度負けたらどういうことになるかと、授業が終わると皆集まって協議を始めた。「おれたちが攻撃の第一線に出よう」「攻撃体系はこれまで3号2号1号の順に並ぶが2号が前に出ることになる。相手は陣の前の防御線に腕の強い人が立っているから、最初に行ったものは殴られ倒される。陣につけば蹴飛ばされる。また、今までの戦法は相手陣に着いたら人垣を作って、後から来る1号生徒がよじ登り旗の竿につかまって引き倒すという戦法であった。当時ラグビーを少し習い始めていた。あれで行こう。相手陣に着いたらスクラムを組んで押す。必ず棒は後ろに曲がる。いくら頑丈に守りを組み上げても、少し曲がれば勝負あったで勝ちになる。「待て」「戻れ」のラッパで引き返す。その後は連戦連勝で部の編制替えがあるまで一度も負けたことはない。勝てば「ご苦労さん」で、後の時間はバス(風呂)に入り、夕食を楽しむことになる。負けた方は大変だ。特訓が始まるのである。

 この戦いも相手に勝つ目的のもと、棒を相手より早く傾けることを目標の形においた。そして2号が第一線に立ったのである。さらに一人の力ではない、協働の力で達成した。

                          松井義近

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2009年11月 1日 (日)

変革の中で我々にできること

Dsc02067 (エレクトリックカー)

(アメリカのチェンジ)

 10月22日(木)藤沢の新産業創出コンソーシアム10周年記念事業があった。その報告会の中で横浜国立大学大学院教授の萩原伸次郎先生のお話を聞く。「世界同時不況とオバマ政権の300日」である。アメリカは建国以来西部の開拓を進めた。新開拓者は5年間所得税なしの国で、今まで「市場中心の新自由主義」の歴史であった。最近では株式への投資、次いで住宅産業への投資となり、過度の投資も市場が決めることと国の機関も眺めていたのである。しかし住宅価格が下落し、金融が行き詰まり、リーマンショックで大不況の波が世界中を覆った。

 この金融危機がオバマを浮上させ、市場等に制限を加えねばならない時代になった。ここに、制限を加えるチェンジのオバマ登場の意味がある。経済の危機は収まっていないが、最も影響を受けた人々への援助をせねばならない。オバマ政権は医療保険制度の法案成立の見通しが立ち、次はクリーンエネルギー経済の創出である。 ・省エネルギー、再生可能エネルギー ・送電線網整備 ・スマート・グリッドの創設 ・プラグインハイブリッドの実現等環境問題を強く打ち出している。

(日本の自動車、トヨタ)

 10月18日(日)夜9時NHKスペシヤルを見ていた。「自動車革命第1回 トヨタ新時代への苦闘」であった。系列の下請け企業は新しいエコカーづくりに苦闘している。今までは部品数1万点のものを多数作っていた。それが3万点になれば黙って生産量は増えた。しかし今は環境問題で、ガソリンから電気の時代になる。作る中身の変化に対応せねばならない。トヨタの戦略はプラグインハイブリッド車であるという。今までのエンジンにモーターを組み合わせた車である。いやでも電気に移行する消費パターンの変化に対応せねばならない。TVでは「バッテリーを制する者が世界を制する」と述べている。

(車バッテリー・家庭・そのネットワーク)

 自動車革命第2回(10月25日)は「スモールハンドレッド」であった。中国やアメリカで続々誕生する小自動車メーカーは「スモールハンドレッド」と呼ばれている。電気自動車はガソリン車と比べ機構は簡単で、部品数も少なくなる。作ろうとすれば小資本でも可能であり、ものすごい新興勢力である。

 今、電気自動車の時代に向かって大きく動いてきた。IT企業を中心にしたグリーンニューディールのオバマ政権のもと、大きく進む形は次のようになるという。

 太陽光発電 → 自動車バッテリーに → 家庭用電気に → 需給をネットワークで調整 → 21世紀の産業革命(全体システム) 

である。萩原教授のお話しにあった「スマート・グリッドの創設」の概略を少し理解することができた。

(いきいき生きるために)

 現在の自動車はガソリンばらまきの旧世代のものになる。今のアメリカは実体経済の停滞で不景気が長引き、失業者は多く、消費も盛り上がらないでいる。しかし開拓精神の歴史の流れは続いているようだ。

 日本でも大きく稼ぐのは確かに大企業だ。しかし中小企業の小以下の企業は沢山あり、その人たちがみんな“いきいき生きねばならない”。藤沢公民館の公民館祭りを見ても、主婦のアイディア製品は見事なものがある。環境問題にしても、残った食べ物は肥料に再生している。小さくてもいい。零細だからできることは沢山ある。大いに検討を進めねばならない。         文責:松井義近

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2009年10月25日 (日)

小学生の稲刈りに思う

Dsc02494 (賑やかな稲刈り)

(一年を一生のごとく)                                                   7月は雨の日が多く稲の育ちを心配する。収穫前には台風が来て稲が押し倒されると心配する。米作りというのは自然とまともに向きあってやる仕事だと思う。それが農耕民族の性(サガ)になるのだろうか。 もともと日本民族は蒙古系が共通の祖先といわれる。人々は狩を主体とする騎馬民族である。日本は弥生時代には九州に米作りが伝わり、その後水田稲作が主力となり、約2,000年、土地に定着して米作りを進めてきた。私たちの「こめこめクラブ」は小学生と中学生の米作り実習であり、農業の伝統を感じながら田んぼを耕し肥料をまき田植えを始めた。

 田植えはこれから育ってゆくんだという希望に満ちた作業である。一番つらかったのは草むしりであった。雑草も生きるために力が強く、いくらでも伸びる。稲より勢いが良い。稲を育てるには草むしりをやらねばならないが、暑いなかでの作業であった。そして秋は実りを実感する。実るほど頭を下げて、天地に感謝する。そして搗きたての餅を楽しむ。一緒に働いた仲間と共に。

(一歩前進)

 稲刈りの日である。稲刈りができるように早めに集まった人たちの手で、張ってあった糸や案山子を片づけ、入りやすいように周りの稲を刈る。藤沢小学校と本町小学校の5年生が先生に引率されて田んぼに来た。稲刈りをどのようにやるか農業専門家の長谷川氏が説明する。子供が怪我をしないように、稲がバラバラにならないように、クラスのお母さん達が後ろについて稲狩りが始まった。にぎやかだ。

 本町小学校の2年生が稲刈りの見学に来る。会長をしている家内が子供達を迎える。男の子が「どこかで見た小母ちゃんだ」とよく見て「あっそうだ、“気をつけ先生”だ」と叫ぶ。去年の本町地区のレクリエーション大会のことである。最後の表彰も終わり、お話になった。一日遊び廻った子供達は友達とチョロチョロうるさく動き回っていた。会長は大きな声で「気をつけ!」と号令をかける。一瞬静まる。「人が話を始めたら、静かに聞きなさい」。これを聞いて子供も大人も静かになった。それ以後“気をつけ先生”というあだ名になったようだ。2年生は5年生が刈っている稲狩りの様子を見ながら、5年生になったら自分達がやるんだと帰って行った。

(脳も体も健康に)

 去年まで健康状態が良くなかった私も、今年は元気になった。田圃に行って緑の中で体を動かしていたのが良かったのかとかと思っている。たまたま10月20日、NHKプロフェショナルで茂木先生の「脳の老化防止」の放送があった。1,000億の脳細胞ネットワークは使うことによって強くなるという。ボケないために①体を動かす。いつも歩く。指先を使う。②普段やってないことをやる。新しいことへの挑戦。コミュニケーションする。③好きなことを楽しんでやる。このように理解した。茂木先生の話を聞いていて、「こめこめクラブ」の仕事も「脳の老化防止」に役立っていると強く感じた。    松井義近

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2009年10月18日 (日)

武蔵野御陵参拝と友人たち

Dsc02474 (霧雨の武蔵野御陵)

(白旗神社の氏子と共に)

 友人から案内があり武蔵野御陵に参拝に行くことになった。天気予報では台風18号が7日ごろ関東地方に近づくという予報であった。10月7日朝起きるとほとんど雨は降っていない。恵まれているなと思いながら氏神様の白旗神社に行く。もう大勢来ておられて賑やかである。バスはすぐ出発する。八王子市へ行くのに直線的に普通道路を行くのかと思ったら、ベイブリッジを渡って湾岸を進む。なんで迂回道路を行くのか。トイレの都合ですという。なるほどなと思うが上り線の混むのは相変わらずである。

 八王子の街に入ると銀杏並木が続く。なんとなく静かな気もちになって行く。近くにある大正天皇の多摩御陵には参拝に来たことがある。しかし昭和天皇の武蔵野御陵にお参りするのは初めてである。太平洋戦争の敗戦とその後の昭和天皇の全国行幸で国民を励まして歩かれたことがしきりに頭に浮かぶ。

(明治から昭和へ)

 最近読んだ「坂の上の雲」第8巻に明治の日露戦争の記事があった。「ロシアにとっては単なる侵略政策の延長線上におこった事変という面が濃いが、日本にとっては弱小であるがゆえに存亡を賭けた国民戦争たらざるをえなかった」と。当時、日本は既に奉天の戦いで国力を使い果たしていた。ロシアは退却しながら相手の兵站戦を伸ばし、一挙に勝負を決めるのが戦略の基本である。日本は、日本海海戦で東郷元帥の決断や、秋元真之参謀達の命をかけたロシア艦隊の殲滅作戦と訓練により大勝利した。日本国民が喜んだのは当然として、同誌の司馬遼太郎氏は「国家と国民が狂いだして、太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか40年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものある」と日露の戦争と太平洋戦争について述べている。日本の軍隊は統帥権なる大権を持ち出し、天皇を絶対者として、自分達のやりいい国家組織を作り上げてしまった。昭和20年8月15日玉音放送でポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏の憂き目を見た。

 その後昭和天皇が全国を行幸し、国民を励まして回ったとき、私は富岡製糸所前に立っていた。そこには天皇が皆一人ひとりに対するように手を振って励ましてくれた姿があった。何時までも忘れない姿である。そして国民を愛して

 『わが庭の 宮居に祭る 神々に  世の平らぎを いのる朝々』

と詠まれて、国民のための平和を毎朝祈っておられる。

(中学の友人から)

 中学5年間一緒に学んだ友人に「経営のディスカバー3」を贈った。彼が電話をくれる。「視力が衰えてやっと車の免許の更新ができた」と喜んでいる。しかし「3年後はどうか?」という。私は「事故を起こしては遅いから免許証の更新をやめた」と話す。しかしいま市内の「こめこめクラブ」のお手伝いに家内を乗せてゆく必要が出てきて、車の免許証の返却は失敗だったと話し、一方ボケ防止に「経営のディスカバー」を毎週書いていると話す。彼曰く「来年も本を期待しているから頑張れ!」と励ましてくれるのである。友人は有難いなと思う。何物にも代えられない宝である。   松井義近

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2009年10月11日 (日)

秋の運動会

Dsc02452 (応援合戦)

(校長先生のお話)

3日に予定していた本町小学校の運動会は雨の予想で翌4日になった。3日にやっていたら途中で雨に降られ中断になるところであった。

 小学校の運動会はできる限り参加する。孫が出るということもあるが、学校を運営する校長先生のお話を聞いたり、先生方や子供達が元気にやっている姿を見て、一緒に喜びたいという気持ちがある。学校は近くにある。開会式の時間に間に合うように行く。開会式では校長先生のお話がある。本町小学校の体育の目標のお話があり頭に刻み込む。①競争すること。②リズムに合わせ体を動かし楽しさを味わう。③みんなで力を合わせることっていいなということを経験する。これを頭に入れて頑張ってくださいと言われる。

(応援合戦とストレングス)

 運動会のプログラムはこれを基に組まれている。柔軟体操の後、応援合戦がはじまった。赤のグループも黄色のグループも緑のグループも負けていない。体格のいいリーダーが前にでて、旗を振る人や太鼓と共に声を張り上げる。赤:フレーフレー赤組ゴーゴーゴー、ぼくらはかがやく太陽のように、燃え上がる希望、力いっぱい頑張ろう。赤赤赤、ゴーゴーゴー、赤赤赤、ゴーゴーゴー、燃えろ燃えろ赤組。黄色:・・・ぼくらは黄色い稲妻だ。つき進む光の矢雷の音とどろかせ、元気いっぱい頑張ろう。・・・ 緑:・・・ぼくらはのびゆく若葉のように、もえあがる希望、力いっぱい頑張ろうと。・・・

 皆、大きな声で元気を出して頑張ろうと気持を高める姿を眺めていて、ふと経営力を強化するポイントが頭をよぎった。強化するためにSWOT分析をする。ストレングス、ウイークネス、オポチュニティ、スレットの頭文字で並べている。事業の強い点、弱い点は何か。そして外部市場や競合先における機会に何があるか、脅威は何かを分析する。企業を伸ばすためには、自らの強い点は何かを探し出し、それを生かして経営してゆかねばならない。

 赤も黄色も緑もそれぞれの特色を出して、それぞれが頑張ろうとしている。それは関連的関係でもいいのだ。きわめて当たり前のことであるが、これを意識的に取り入れて行っているところはいい結果を出している。企業でも人でも基本的には同じである。

(役割分担)

 校庭は父兄や関係者でいっぱいになっていた。運動会の運営はスムーズに進行している。子供を中心にそれぞれが役割分担し、高学年生は低学年生をよくリードし、先生がそれを支援しているいい姿である。直接部門以外はPTAの母親たちが整理したり誘導したりして協力し、縁の下の力持ちをやってくださっている。

(競争、リズム、協力)

 子供の成長によって走る距離が違う徒競争、夢中で競争して走っていた。足の速い子も遅い子もみんな一所懸命走っていた。

 エイ!エイサー!て何だろう。4年生が準備している後ろで見ていた。紫の風呂敷大の布を頭に巻いていた。自分で巻く。出来ない子は友人に手伝ってもらう。それでも出来ない子は先生に手伝ってもらう。出番が来た。小さな太鼓を持ち叩きながらリズムをとって硫球民謡のおどりで沖縄の風土が自然に感じられた。

 練習を重ねやってきた成果を目の当たり感じられたのは「組み立て体操」であった。内容により人数が違い子供の移動もある。体格も考慮せねばならぬのもあるようだ。簡単な体操から4段の」組み上げまで笛に合わせて一糸乱れずやり抜いた。6年生は2回目、5年生は初めてとのことである。力を合わせた姿に思わず「見事」と叫びたくなった。6年生も5年生も校舎の建て替えでこの校庭での運動会は最後である。楽しい思い出と共に、立派にやり遂げた体験としてこれからの人生のプラスになることであろう。希望の持てる運動会であった。

                    松井義近

Dsc02464

(組み立て体操)

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2009年10月 4日 (日)

わいわい市(ファーマーズマーケット)

Dsc02444 (わいわい市)

(ファーマーズマーケット)

 もう大分昔になる。昭和56年にアメリカ西海岸のショッピングセンターと飲食店の視察に出かけた。ロサンゼルスで見たのが「ファーマーズマーケット」であった。野菜は勿論、豆もアイスクリームも肉から魚まである巨大なマーケットであった。およそ農家の作ったものは何でも売っている。標準化商品の大量販売が頭にあった者にとって、このような業態が成り立つのだと、一つのカルチャーショックであった。

(わいわい市)

 神奈川県内にも何店かファーマーズマーケットがあり、寒川町のものを見学に行った。最近はおおよそのことはインターネットで分かるようになった。ホームページを見ると施設は560m2(約170坪)である。売り場はこの2/3であろうか。ホームページはブロガーの自由な書き込みが多い。

 始めてゆく場所は駅からタクシーで行く。車に乗って「寒川のファーマーズマーケット」と言う。運転手は「え?」と聞く。私の言葉がハッキリしないのかともう一度同じことをいう。運転手また「え?」という。そうだ固有名称は違うのだなと「わいわい市」と言いなおす。車は走りだした。運転手は「わいわい市」のことを話しながら走る。「土・日など駐車場はいっぱいで、入るのが大変のようです」。顧客は大分遠くから来てくれているようだ。そして人気のあるのが分かる。駅から1kmちょっとか「わいわい市」につく。店に入った雰囲気がいつも行っているスーパーと違う。

(地産地消だからできる)

 このマーケットは個人の農家が生産したものを持ち込む。出庫した農家がパソコンを用いて、自分のバーコードに自分の売値を入れて販売している。地元の農家が朝早く起きて取り入れたものを、開店までに持ち込んで売っているのだ。値段設定はマチマチで価格競争もあるようだ。お客のある主婦は、商品を買うとき「商品についている内容表の作者の名前を見て、その人の野菜を買っています」という。農家は信用されていて、その上にたって物を売っている。ここの「葉大根」はスーパーで売っていない人気商品ですと自分の商品に自信を持っていた。一般ルートの葉大根は畑で採ったものを、市場経由で三日も四日もかけてスーパー等の店に並べるので、葉が黄色くなってしまいます。この店のように朝採ったものを並べ、その日に食べてもらえるからおいしいのですという。文字通り地産地消だからできる、鮮度のいいものを食べてもらえるのである。話していてもなんとなく親しみを感ずる。トマトでも、配達して陳列している農家の若い主人が和やかな気分で説明してくれた。

 商品はパン、草もち、漬物、豆腐、卵はもとより乳製品、肉、植木まである。外には藁も置いてあった。遊びに案山子でも作るのかとビックリした。

(一世を風靡したスーパーは)

 売場のPOP広告にも農家のご主人の顔が載っている。「私が栽培しました」という証しである。昼ごろ行ったがその農家の奥さんがお客さんと話していた。文字通り“顔が見える商売”であった。

 いまのスーパーには会話はない。自分で集めて籠に入れてレジで支払う。お金もレジの前の表示で払う。わずかに「・・カードはお持ちですか」という言葉だけ。もともとスーパーマーケットはセルフサービスで、店員一人当たりの売り場面積(坪数)増やすことがポイントである。これで労働生産性の向上を果たすことができた。結果的にお客との会話はなくなる。

(高齢化社会への対応)

 高齢者用のマンションに入った女性、食事は毎回作ったものが部屋に運ばれてくる。手間はかからない。手を動かさないということは脳の刺激にもならないようだ。買い物に行かないということは脚も弱くなる。転びやすくなり、怪我をする。体にはよくない。なるべく買物にも出かけ、そして井戸端会議ではないが気の向くままにコミュニケーションを図る。時に元気な子供の世話をする。この様になる地域コミュニティを作ろうではないか。

                    松井義近

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2009年9月27日 (日)

「生産」という言葉

Dsc02392 (ガラス加工)

(付加価値)

 日本のGDP国内総生産は500兆円あると言い、大きな金額である。この国内総生産については国内での付加価値額の合計である程度のことしか知らない。企業会計では「売上高―外部購入費用」(控除方式)を使って計算してきた。外部購入費用は商業では売上原価が主である。製造業の場合は製品仕入れ原価と材料費・部品費・外注工賃を計算して当てる。これとは別に人件費・賃借料・支払利子割引料・租税公課・純利益を加算して算出する加算方式がある。日銀方式では機械設備などの減価償却費も加わる粗付加価値方式である。付加価値に対して人件費・利子・利潤の率を計算し、労働分配率、利子分配率、利潤分配率というが、経営管理上の重要な指標である。この加算方式は国の計算方式でも生産国民所得となる。

(顧客の満足するところに価値が生まれる)

 生産は製造業で行うと思われがちであるが、商業でもサービス業でも行っていることは勿論である。どこまでが生産かということは難しい。炭鉱で石炭を掘ることは生産活動である。これをトロッコに積んで運び出すのも生産である。これが生産ならば貨車で運ぶのも生産であり、工場や家庭に配達するのもその同じ線の上にある。生産活動は工場だけではなく、商業でもサービス業でもおこなっている。すべて顧客が買い求める商品やサービスはそれにより満足することにより価値が生まれる。企業はそれをどう作り提供するかであるが、石井淳蔵先生は「ビジネスインサイト」で「価値は技術と欲望のマッチングの中で生まれる」と述べている。

(GDPとNPO)

 最近はボランティア活動が盛んである。私もボランティアで働くことがあるし、生活者が自分で何か作ることも多い。みんな元気で生き生きやっていて立派だと思う。これらは国内総生産にプラスになっているのだろうか。控除法で見て、売上高はたっていない。加算法で見ても人件費は出ていない。現在、活動自身は小さいと思う。けれどボランティアのパワーはすごい。地球を支える力になってくると思う。その活動は経済力を測る国民総生産にはなっていないのではないか。

(人の求めの変化)

 そんなことを考えていたら、日経09.9.22(火)朝刊の「春秋」欄に記事が載っていた。

「一国の発展を計る物差しが国民総生産(GDP)一辺倒ではおかしい。休暇や家事、ボランティア活動、環境への配慮などにも価値を認め、生活の質や国民の幸福感も映した新しい指標が必要だ――」。中略 「ヒマラヤの小国ブータンが掲げる国の指標『国民総幸福』(GNH)はよく知られている。フランス版の新指標の提言は『経済力と社会進化の測定に関する報告』に基づき・・まとめられている」。このように人の求めるものが変わり、国内総生産の統計も進化してきている。この変化に合わせないと統計は実態と遊離する。

                           松井義近

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2009年9月20日 (日)

新政権、天気晴朗なれど波高し

Dsc02168 (自ら耕す)

(ロビーコンサート)

 9月16日、藤沢市役所新館の中でロビーコンサートがあった。12時20分から12時50分の昼食の時間である。129回目で隔月行われて20年とのこと。板津あずみさんのヴァイオリン、青山夏美さんのピアノで行われる。「タイスの瞑想曲」などを聞いていると木もれ日の中を歩いている感じを抱き、最後はすっかり引き込まれてしまった。情緒的なクラシック、「音楽のまちづくり」の一環か、市長も参加されていてビックリした。

(政治主導)

 ユッタリした気分で、昼食をすませ家に帰り、TVのスイッチをいれる。衆議院で首相投票の始まるところである。今回の選挙で民主党が大勝した。今まで、細川内閣などで自民党が政権を譲ったことはあったが、約50年間続いた政権がなぜ敗れたか。新聞でもテレビでもいろいろ報道されている。自分なりに考えても自民党政治に期待できなくなった反動が、小選挙区制の中で大きく差をつけたと思うが?。鳩山政権は政治主導を大きく掲げている。裏を返せば脱官僚政治である。しがらみの自民党はその呪縛からぬけだせない。そこを国民に見事に訴えた。

(国家戦略室)

 国家戦略室(局)を作ることになった。今までも学識経験者や有名な実務家を集めて経済諮問会議を開いてきている。戦略室は企業でもつけそうな名前だなと思う。最近読んだ本に「ビジネスインサイト」(石井淳蔵著)がある。新しいビジネスモデルが生まれる時に働く知を「ビジネスインサイト」と呼んでいる。手法として「ケース」の勉強で進める。一読して表現が難しい。強い洞察力が必要だ。その中に「戦略が現実を作り出す」という言葉がある。菅副総理の話を聞いていて、作りだされる戦略内容はこれからである。マニフェストはすでに示されている。誰も経験したことのない新しい時代、早く健全な日本が作られることを期待している。

(自分たちの地域力を)

 日本の経済は少子高齢化で構造的に下降傾向であり、企業の状況も同じ状態である。マニフェストにある子供手当年31.2万円、国の将来のために前向きの案である。でも一人の主婦の意見を聞いていると、もらえるのは有難い、けれど大丈夫なのかと金の捻出を心配していた。右肩上がりの経済は戻らない。リーマンショックで世界的に痛手を被って、金融は回復しても、実体経済は戻らない。何としても皆が働けるような経済になることを期待するが、何でも政府がやってくれるわけではない。先ず自分たちで地域の力をつけていかねばならない。

(コンサルタントとして)

 経営コンサルタントは、改善の仕方・進め方の一定のパターンを持っている。専門家だから一生それを生かそうとする。しかし顧客等外部条件は変わってゆく。今までの視点からは変わりが見にくいものである。新しい出発として、定石にこだわらないで「意味ある全体を見通せる」ようになりたい。

                                                      松井義近

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2009年9月13日 (日)

裸のつきあい

Dsc02404 (迦葉山)

 昭和13年度卒富小同窓会があった。歳は皆同じ。出席している人は一応元気そうに見えるが、自転車に乗って怪我をし、今でも足が不自由な人、表には見えないが脳梗塞で半身が不自由とか、どこかおかしい人が多い。私自身もその例外ではない。83歳まで生きられるとは思っていなかった。

 そんな人が集まって、郷土の山の温泉で語り合う。“またよろしからずや”である。さすがに「だんべー」の方言は出ない。私が中学を終って海兵に入ったときは初めて郷里を離れたため、東京出身の人に“だんべー君”とあだ名をつけられた。しかし独特イントネーションの話し方など、話を聞いているうちに自分でも使っているから不思議である。子供のころのことは身体にしみ込んでいるようだ。

 友達の消息は地元にいる人に聞けばすぐわかる。何のわけ隔たりもない。風呂に入れば「おい、背中を流そうか」という。こんな感覚はしばらくぶりである。こっちも背中を流してあげる。何のこだわりを感じないからいい。その友達は温泉を上がるといい気持ちで居眠りを始めてしまう。安心しているようだが、部屋には一人で帰れない。

 最近米作りの支援をしている。小・中学校の子供達の実習のお手伝いである。私の生まれた家は養蚕農家で畑もあった。農具の鍬を使って柵を作った経験もある。友達と話していると蒟蒻を9町歩も作っているという。農機具は10台、エンジンの大きいのは10馬力あるという。すごいなと思い何時か見せてくれと話す。機械化しているので昔の農具の話など通じない。随分変わったものだ。

 夜9時過ぎだろうか。ホールで餅つきがあるから行かないかという。詳しい人でスイスイと会場へ行く。このホテルには何回か来ているようだ。はじめは兎の餅つきで、5人が棒の杵で搗きながら臼の周りを回る。これならご婦人も搗けるなとみていた。何回かやり、次は一本締めでお願いしますという。見ていたら友達が出て行って大きい杵を持って力強く搗きだした。私も中学の頃1回やったことがある。最後の一人というところで出て行って杵を持って見た。思ったより軽かった。昔剣道で習った八双の構えで搗いてみた。気持ちが良い。搗き終わって一皿搗きたての餅をご馳走になる。

 帰りのバスで寄った所に“迦葉山”がある。天狗の山だ。ずいぶん山の深いところまでバスが行った。私は初めてである。有名な山のようだ。お参りすると一面天狗の面である。山伏の修験の山だったのかと思う。さらに、時間に余裕があって、バスの運転手が“きのこの店”に案内してくれた。きのこ入りのお茶を飲み、焼ききのこ、きのこ味噌汁と試食して、旨いのでビックリ。近くの山で栽培してこの店で売っている。言うなら製造販売の店である。店の陳列台が素晴らしい。厚い一枚板である。よくこのような板が集められたものだと感心して見ていた。この辺の山にあったものを集めておいたものであろう。

 トイレ休憩、手を洗って鏡を見ると自分の頭の白いのが目立つ。思わず「白くなったな」と言うと、隣の友、「あるうちはいい。俺などなくなってしまったよ」、二人顔を見合せて笑う。まさに心の通った人たちだ。今日(9・12)の朝刊「余録」には「喜びが最大の寿命薬の一つ」というドイツの医師フーフェランの言葉がある。みんなを楽しませ喜ばせることのできるクラスメートの会になろう。今回は利根川の清流を眺めるホテル、清々しい友達と暫くぶりでめぐりあわせ、さわやかな気分で郷土を後にした。幹事の皆さん、参加の皆さんどうも有難う。

                            松井義近

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2009年9月 6日 (日)

自らのスタイルを貫く「おわら風の盆」

Dsc02366 (流しの風の盆)

 岐阜長良川の鵜飼と越中八尾「おわら風の盆」を申し込んだのは随分早かった。去年行き損なって、今年は必ず行こうと4月に予約した。おわら風の盆は昔加賀市の会館で見たことがある。また藤沢の遊行寺に来てくれたのを見ている。女性はきれいな揃いの浴衣に深い編笠をかぶり、しなやかな手が美しい女踊り。一方男衆は揃いの法被でたくましく脚で踏ん張って踊っていた。踊りは列をなし優雅な舞で、三味線や胡弓の音と歌が哀調の響きを私たちに訴えかけていた。しかし本場のあの土地で、あの空気の中で本当のムードを味わいたいと思っていた。雪洞の通りで胡弓の響きを聴ける街流しを見たかった。

 「民謡おわら」は300年の歴史があるという。元禄15年(1702年)八尾の開祖が大切な文書の返還を喜び、村中で祝ったことが始まりという。その後210日の恐ろしい風を治め、五穀豊穣を祈る行事として「風の盆」になった。3日間で去年は25万人の人が来たという。何がいいのだろう。私達の組は街の北側から回ることになった。全町道の両側に数千の雪洞、このムードはやはり現場が作る。

 お寺の回廊で風の盆を暫く楽しむ。南へ歩き曳山展示館前で男踊り・女踊りを見る。「日本の道百選通り」を探し通りへ行った。もう予定時間3時間の半分を過ぎている。諏訪町の人がこれから出発しようというところであった。道の一角で準備の様子を見ていた。親切な人がここは流しの列の後ろの方になるから前の方へ行った方がいいと教えてくれる。けれど道は人でぎっしりだ。動きが取れない。街の流しが始まった。三味線を弾く音、胡弓の哀愁のある響き、近くの女性の優雅な舞が目の前で始まった。優雅な舞と響きが私に伝わってきたが、列はすぐに通り過ぎてしまった。

 集合場所に帰ろうかと家内と話し歩きだした。けれど折角来たのだから踊りの列の前の方も見ようと、通りの前の方にまた行った。足の踏み場もない。持って行った組み立て式座椅子を出してその上に立って様子を見ながら後ろで待つ。しかし待てど暮らせど踊りの列は来ない。情報は何も入らない。動く気配も見えない。家内はしきりに集合時間を気にする。むりもない。来た道を戻るのではない。余裕を見なければならない。せっかくだったが見学場所を離れ集合地に向かう。

 集合時間に全員が集まる。リムジンバスを待つこと1時間、後で聞くと人出は9万人とのこと。スムーズに車と人を動かすには大変な仕事だ。思わず主催者の苦労を考えてしまう。この祭りは各町内が自主的に実施している行事とのこと。勿論全体の調整はあろう。町内の人も踊り関係の人もボランティアでやってくれているのであろう。町内ごとに雪洞をたて、揃いの着物に小物も揃え、楽器も使えば古くなる。収入のことも補助金のことも何も知らない。しかしここにはここの気風があり、昔からの伝統を誰にまどわされることもなく自分たちで守り、これを次にバトンタッチしてゆく気構えがある。風の盆の踊りも美しいが、それ以上このまちの見事な気風を感じて帰ってきた。これは商売ではない。美しい伝統を守り、広く感銘を知らせる行事である。

                    松井義近

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2009年8月30日 (日)

郷土愛と甲子園決勝戦

Dsc02291 (田園風景)

 今年の高校野球夏の甲子園は最後の場面に感動した。

 神奈川県代表は初出場「横浜隼人」で、一回戦を佐賀の伊万里高校と対戦し勝利、2回戦は150kmの速球を投げる投手のいる「花巻東」と対戦、ここで応援も終わった。どこでもそうだが地元の高校の応援に熱が入る。

 私の出身は群馬県で、生まれ育った群馬県富岡市の高校は甲子園に出たことがない。今年は「東京農大2高」が代表となり出ている。群馬の町の名前はどこにも付いていない。それでも神奈川の次は群馬のチームを応援してしまう。この元になっているのはいずれも「郷土愛」的なものであろう。

 私はもう60年余り藤沢で暮らしている。藤沢市の新市長は“一生住み続けたい湘南藤沢”をキャッチフレーズに標榜している。私たちもこのまちが好きでまちを愛し、いつまでも住み続けたいと思う。これは藤沢の郷土作りをするということであろう。まち作りに、「13地区の特性を活かす地域力」が表明されている。市民センターを中心とした経営会議があり、モデル地区もあって推進されている。私の住む地区でもスタートしているようであるが、みんなが推進するようなパワーが感じられない。何かして貰ったら感謝の気持ちを込めて「有難う」というのが社会人である。こういうことは新入社員教育のときに言う内容である。公務員と話しているとどこか外国へ行って話しているようで、お互いの気持ちが通じない。

 高校野球の決勝に残ったのは「日本文理」と「中京大中京」であった。当日1時過ぎに放送が始まることは承知していたが、都合で初めから見ることが出来なかった。3時過ぎにTVのスイッチを入れる。場面は9回表、日本文理の攻撃である。スコアは10対4で中京が勝っている。6点取らねば追いつけない。9回表無死W君3振、一死でN君遊ゴロとなり2アウト、中京応援団は「あと一人、あと一人」の応援になる。あの甲子園の大舞台で中京のピッチャーはどこか力が入りすぎたか、一人4ボールでだす。次が左中間2塁打、さらにライト3塁打で計6点、4点差になる。次のファールフライを三塁手とキャッチャーのお見合いがあり生き返り、死球で出塁する。次も4ボールで満塁、次は安打で8点、次も安打で計9点、1点差である。打線は一回りしてW君、ランナー一・三塁、強い当たりでボールはTVで見えない。3塁手の上げた左手にボールが納まっていた。遂に中京が優勝である。雪国の人は粘り強いと一言でいうが、今日の試合を見ていて身が引き締まった。

 TVには不思議な光景が映し出されていた。勝った方に涙の人がいて、負けた方が晴れやかな顔である。試合の途中を見ていなかったので事情はよく分からない。スポニチ新聞によれば背番号1の堂林君は優勝投手として最後の打者に立ち向かいたかったが、先発して6回途中で降板、9回2死から再登板して日本文理の猛攻を許し、再びライトに退く。優勝インタビューが異例の“おわび”と涙になった。苦い思い出は今春の選抜の準々決勝にあった。9回2死から報徳学園に逆転負けしたという。しかし、どんなに苦しくとも中京は勝つべくして勝った。辛くても立派で力強い体験であったと思う。私もいい経験をさせてもらいました。有難うございました。       松井義近

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2009年8月23日 (日)

二〇三高地と参謀の反省

Dsc02263 (パワーを感じる檮(トウ))

 太平洋戦争には家から叔父・兄・私と3人が出征した。日露戦争のときは祖父の弟(大叔父)2人が出征し、高崎15連隊所属で旅順に行った。その大叔父が敵の斥候に行き、防塁の銃口から中を見たら、青い目がこっちを見ていて目と目がぶっつかり、転ぶように帰ってきたという話しが伝わっている。「坂の上の雲」にも15連隊が攻撃して高崎山と命名した山の記事が載っている。この辺で大叔父達が活躍したようだ。

 乃木第三軍の旅順要塞の攻撃は、1次・2次と正面攻撃を行い、屍の山を築いてしまった。旅順要塞攻撃の目的は港内の艦隊を沈めてしまうことにある。このため東郷艦隊は魚雷艇等の夜間攻撃を行い艦船に被害を与えた。第2次攻撃も実施、しかし決め手になる戦果はあげられなかった。やむを得ず港の封鎖を実施、広瀬中佐が戦死になったことは前号で書いたところである。

 バルチック艦隊は10月15日バルト海リバウ軍港を出港している。日本まで18,000海里の航海である。同艦隊は途中の石炭補給や兵士の士気低下で困難が続いた。日本は軍令部の検討でも東郷艦隊参謀たちの検討でも、バルチック艦隊が来る前に旅順を落さないと、敗北という解答しか出ていない。期間的には会戦に間に合うように艦船を修理し、船の付着物をとり、速度も出るようにしておかねばならない。さらに、バルチック艦隊の一部でも旅順に逃げ込まれたら、満州の陸軍は補給路を断たれ、日本はなし崩しに負けてしまう。すべての艦船を沈没させねばならない。

 東郷は、速やかに二〇三高地を占拠し、湾内を観測しながら砲撃することを提案したが、第三軍参謀は採用しない。大本営からの参謀派遣で同様の意見も出したが、I参謀は受け入れない。旅順の参謀長はその攻撃手法を検討し、改めようとしないで、いままでの正面攻撃を続けた。参謀たちは自分たちの専門的知識・方法にこだわり、巾広く冷静に考えることが出来なかった。

 ここ旅順の第3軍は大山満州軍総司令官の傘下にある。大山は「予に代わり、児玉大将を差遣す。児玉大将のいうところは、予の言うところと心うべし」という一札を児玉総参謀長に与えた。旅順に行った児玉総参謀長は攻撃の力点を問題の二〇三高地にかけようと決心していた。たまたま東京湾観音崎砲台に据え付けた28cm榴弾砲が日本から届けられ配置されており、乃木司令官は二〇三高地への攻撃を始めていた。しかし児玉総参謀は指揮系統の問題もあり会議に苦労を重ねる。協議を行い、時は来た。児玉総参謀長は二つの指令を出す。

 司令の一つ、「二〇三高地の占領を確保するため、速やかに重砲隊を移動してこれを高崎山に陣地変換し、もって敵の回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に任ぜしむ」。しかし専門家の砲兵隊参謀は乾くだけで1,2か月かかると反対。しかし東京から現地に出張した人は9日で据え付けていた。「命令、24時間以内に銃砲の陣地転換を完了せよ」と。

 「二つ、二〇三高地占領の上は28cm榴弾砲をもって、一昼夜連続砲撃を加え、敵の逆襲に備うべし」。そして第7師団の全力をあげて二〇三高地攻撃にかからせた。参謀は状況把握のために必要とあれば敵の保塁まで乗り込んで行けと指示。重砲の観測班は二〇三高地西南角に上った。

 児玉「そこから旅順港は見えるか」

 観測員「見えます。丸見えであります」。歴史的瞬間である。

観測班の観測による榴弾砲の攻撃は、旅順港内の艦船を一隻を除き撃沈した。

 旅順の戦いは、日本側兵力10万、死傷6万212人、死者1万5千4百余人のすごさである。ロシアは戦闘員4万5千人、死傷1万8千人余り、死者2,3千人である。日本の被害は甚大である。これも、参謀は自分が学んだ既存知識に固執し、他人の意見を謙虚に聞かなかったのである。旅順攻撃の参謀の行った教訓は真摯に学ばねばならない。現在の社会においても自分勝手な人はいる。意見は結構だが、習った専門にこだわっては旅順の悲劇の繰り返しになってしまう。社会の損失・迷惑が甚だしい。

                          松井義近

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2009年8月16日 (日)

旅順口、海のリーダー

Dsc02215

(ひまわり)

 今年5月兵学校3号(1年生)時代の分隊会があった。会で一緒になった松浦慎兄から司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の話があり、NHKで今年11月から放映されること、ほか関係情報を貰った。松浦兄とは3号時代の他1号時代も同分隊という関係で、戦後も話を聞く機会は多かった。司馬遼太郎氏については学ぶ内容が多かったが、中でも軍隊に召集され、満州で敗戦を迎えた呉服屋の番頭さんの物語は、私に強い感動を与えてくれた。ソ連に抑留され岩穴掘りのノルマを課され、寒さと食糧不足で苦しんだが、ある時、「岩には理(スジ)がある」からこの理をみつけ、ここに鑿(ノミ)を入れて掘れば効率よく掘れると教わった。これに従い掘ってノルマを達成し生きて日本に帰ることができたという。これを読み経営も同じだと思い、中小企業の経営の理を探し今日になった。今回も司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を早速買ってきた。

 物語は明治の初め松山藩の秋山好古、その弟の真之(サネユキ)、正岡子規の3人が中心である。小学校でも中学校でも国史(歴史)は習った。けれど教科書の勉強はいずれも江戸時代で終わって、明治のことはその後自分で興味本位で勉強した。今回明治の小説を読み始めて、日清・日露戦争の状況を読むにつけ、太平洋戦争との背景に似たものを感じ歴史研究の尊さを強く感じている。日露戦争の当時海相だった西郷従道氏は陸軍卿や内務大臣等をつとめたが、海軍のことは詳しくない。しかし、物事の本質を見抜くのがうまい。その要だけを握って、あとは春の野のそよかぜに吹かれているような顔をしている。この人を上にして日露の交渉が始まった。「後世という、事が冷却してしまった時点で見てもなお、ロシアの態度には委譲すべきところが全くない。ロシアは日本を意識的に死へ追い詰めている。・・・日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう」とある。国力から見て手も足も出せない状況であった。

 海軍はどうするか。ロシアはバルト海、黒海、太平洋に艦隊を持っている。日本の勝ちみは各個撃破で戦うしかない。開戦となり、戦いの第一発は仁川港外に脱出した「千代田」が、北上してきた「浅間」に合流し、「浅間」の8インチ砲の第一発から始まった。旅順要塞にはロシア艦隊の戦艦7隻、巡洋艦7隻、その他駆逐艦・砲艦と入っている。先ずこれを撃破しなければならない。2月6日佐世保を出た連合艦隊は旅順口東方44海里に達し、8日夜、駆逐隊による水雷攻撃に入った。戦艦2、巡洋艦1が大破したが沈没に至らず。連合艦隊は仁川港外を基地にし、旅順の艦隊を外洋に誘い出そうとするが、相手は要塞内に立てこもる。ロシア司令長官Sは艦隊保全主義を厳守するあまり、大きい損失である兵員の士気沮喪という重大な問題を忘れた。駆逐艦速鳥と朝霧は荒天をついて旅順口内に突入し、水雷を発射し旗艦ペトロバウロウスクを大破させた。

 バルチック艦隊が来る前に撃破できなければ、旅順は閉塞する以外にない。港口は巾273m、巨艦が出入りが出来るのはまん中の91mである。5~6隻の船を沈める必要がある。1隻に14,5人乗るので指揮官・機関長を除いて67人必要である。下士官以下の人員はひろく艦隊から志願を募った。たちまち200人が応募した。ロシアとの戦いに負けたら、日本はロシアの属国にされてしまう。国を愛し家族を愛する人たちが集まってくれたのである。実施した5隻のうち1隻だけが目的を達した。しかし予想外に人の死傷はなかった。さらに第2回は4隻で行った。当日の閉鎖はロシア側に探知され、待ち構えられていた。苦心の末擱座させ、引上げになってボートに乗るが杉野がいない。ここで広瀬武夫中佐と杉野上等兵曹の歌に歌われている場が出る。広瀬は沈みかけた船に戻り船内くまなく探した。「船内隈(クマ)なく尋ぬる三度、呼べど答えず、探せど見えず、船は次第に波間に沈み・・」。ボートに戻ってきた広瀬は弾に飛ばされてしまった。

 その後日本は機雷の敷設をし、成果を上げたが、日本も戦艦2隻の触雷、水雷艇・通報艦の触雷、巡洋艦同士の衝突等悲しい事故が相次いだ。しかし東郷司令長官は顔色一つ変えなかった。不運に対して強靭な神経を持っていたのである。東郷は頭脳でなく、強靭な心で艦隊を統御していたのである。               

                                               松井義近

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2009年8月 9日 (日)

選挙に思う

Dsc02251 (子供に未来を)

(政治は裏まで見たい)

 青山繁晴氏の講話を聞く機会を得た。氏は長い間共同通信社におられ、平成9年に同社を退職、三菱総研に入る。現在は(株)独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員である。政治情勢に詳しい方なので8月末にはあるであろうという衆議院選挙(企画当時)の前にお話を聞く機会を作ってくれた。三水会に早速申し込む。ほとんどの人生を「子どもの教育」に尽くしてきた女房も、話を聞きたいと積極的であった。共に政治問題は新聞TVの報道面を見る程度で、その裏の流れは知らない。

 民主党の党首で参議院選挙を勝利に導いた小沢一郎氏は、もともと自民党田中派。日本列島改造論の田中角栄元首相はロッキード事件でつまづいた。田中派を飛び出した竹下登元首相は消費税導入を花道に退陣、グループの小沢一郎氏は自民党幹事長であった。当時の選挙は多くの資金を必要とした。今は民主党の代表代行で、今回の選挙とそのあとの連立工作にどんな手を打ってくるか。

(個人は臍下(セイカ)の一点に統一)

 毎年8月には浄土宗のお寺で「施餓鬼会法要」が行われる。先祖の霊に塔婆を立てて供養をする。恒例では他の寺の坊さんが来て、仏教の法話をしている。今年は“気の活用法”である。かつて仕事で悩んだとき気功について学んだことがある。気功の本も読んだ。しかし身につくものはなかった。次は実技を学ぶ必要があると、気功教室を調べて申し込んだ。そこでは準備功や気功三式の実技を繰り返し繰り返し行った。

 今回は「心身の統一」と「全身呼吸法」に重点があったように思う。「心身の統一」にはいろいろのプロセスがある。①気を出す ②全身の力を完全に抜く ③身体の総ての部分の重みをその最下部に置く ④臍下(セイカ)の一点に心をしずめ統一する。このように方法があるが、何か一つ身につければ心身統一はできるということで、④の臍下の一点に気を入れることで進めた。体がふらふらしない実技を行い納得する。臍下の一点はへそ下にある丹田(タンデン)のことである。

 次の複式呼吸は学校でも行った。しかし本格的にやれるようになったのは気功の教室で身につけてからである。今回は60兆~70兆の体の細胞の一つひとつに酸素を送り込み、気で体内を洗うという。私が習った気功では光で浄化し、陰陽の気の調節で複式呼吸をしながら気の統一を進めた。やり方に多少違いはある。けれどいずれにしても身につければ大きく体の活性化になることを確信する。

(輝く日本で次世代に)

 選挙も目先の金に惑わされては国家百年の計を失う。それぞれが個人の欲から離れて、共に問題解決を進めなければ日本の存在価値がなくなる。個人はオーラで輝く様に気のパワーを磨き、国の問題を正しく認識して、健全で輝く日本の国を次の世代につなげるようにしたい。

                   松井義近

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2009年8月 2日 (日)

仕事はそれぞれを磨いてくれる

Dsc02232 《餌さ台に上がった合鴨》

(暑い中にもプラスはあった)

 真夏の暑い中で草むしりをするのは大変である。しかし気分の良いものもある。何が気持ち良かったか。田圃の畦道に立った時の爽やかな風は忘れられない。

 今はどこの家にもエアコンがあって涼しく寝られる。その前は扇風機の時代があった。同じ調子で吹かれるとだんだん気分が悪くなる。気分の良い扇風機は自然の風に近いゆらぎがあるということが分かった。「1/f(エフ分のいち)ゆらぎ」と言われる。パワーが周波数fに反比例するゆらぎのこと。あらゆる現象に現れる。具体的には小川のせせらぎの音、ろうそくの炎のゆれ方など物理現象、生物現象に現れるという。私の経験では新幹線こだま号に乗って感じた快適感なども該当するようだ。これらのことがどんどん研究されている。当然扇風機にエアコンに「1/fゆらぎ」が取り入れられ快適になってきた。

 それでも田んぼに立って受けたあのそよかぜにはかなわないと思う。暑いのは本当に大変だ。仕事をするというときは楽しいことばかりはないのが普通である。そんなとき何か気分の良いことを見つける、仕事に中にストロングス(プラス点、良い点)を探してみるとそれとのかかわり合いに良い結果が出るものである。

(体で覚える) 

 「こめこめクラブ」の田圃の仕事で合鴨を放すのがある。合鴨を放せば若い草は食べるし糞は肥料になる。無農薬農法の一つになるようだ。そのためには網を張り逃げられないようにするとともに、放電もして猫や犬の侵入を防がねばならない。烏をふせぐために空中に糸を張る。それと、餌も毎日やらないと丈夫に育たない。合鴨にやる餌の台を中学生と一緒に田圃の中に入れることになった。結構重い。おまけに網を張った後になってしまった。3人では持ち上がらない。人数を増やし大きな声でイチ・ニのサンと掛け声をかけた。餌さ台は中に入った。なんでこのくらいのもので苦労しなければならないのか。考えてしまった。どうもやり方が悪い。

 二十歳まえ、太平洋戦争中に海軍兵学校に入ったときの経験である。船の中は常に清潔にしておかないと病気が発生する。そこで毎週大掃除をする。重いベットを動かして床をきれいに磨く。ベットを動かすのが大変だった。どうすればうまく動かせるか考えてしまった。やっているうちにわかったことは、手で持ち上げるのではないということ。どこで持ち上げるのか。脚で持ち上げれば楽に動かせるということを覚えた。それからはいつか自分の体にしみこんで、知らずにその動作をやってきている。自分では当たり前になっていたことで、中学生の体の使い方には注意を払わなかった。

 みんな一生懸命泥だらけになって仕事をやってくれた。お互いに助け合い、それぞれが自分の力を発揮して活動するこのクラブは、よいコミュニティに育つことが期待できそうだ。

                                   松井義近

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2009年7月26日 (日)

祭りと新コミュニティ

Dsc02224 (子供神輿)

 ここの氏神様の白旗神社は夏祭りである。私の田舎の祭りは4月と10月で、春は農業の種などの市があり、秋は収穫の感謝祭である。うちから嫁に行ったおばあさんも実家に帰りにぎやかであった。最近は種なども別のルートから買えるように変わっている。白旗神社の祭りは7月の19,20,21日である。家内は少々残っていたもち米に、「お赤飯の素」3合用を買ってきてお赤飯を作る。上手に炊けたと一人満悦である。                           

 白旗神社には寒川比古命の他源義経が祭られている。付近には「首洗いの井戸」があり、平泉から奥州路を経て持参した義経の首を、ここで洗って腰越に持って行ったと聞いていた。最近は和田義盛と梶原景時による首実験後浜に捨てられた首が、潮に逆流してこの地に着き藤沢の里人が拾い上げて祀ったと説明されている。義経は日本ではまれな騎馬戦の名人で、鵯越(ひよどりごえ)の合戦と屋島での戦いに騎馬の特徴を生かして戦い見事な勝利を勝ちとった。舞姫「静御前」との縁で、鎌倉の舞殿で毎年「静の舞」が奉納されている。首実験は文治5年(1189)6月13日で、今年6月13日には記念事業として白旗神社でも「静の舞」が奉納された。「しづやしづ、賎のをだまきくり返し、昔を今になすよしもがな」の歌は日本人の心底をゆする。

 小学校が夏休みに入り、直ぐに神社の祭りに入る。毎年の恒例で町内の子供神輿がでる。今年は20日に行われ子供たちは大喜び、小学生は担ぎ幼稚園年長組は紅白の紐を引く。今年は隣の町内と一緒に3台の神輿が特別養護老人ホームを訪問することになった。ホームのお年寄りは建物の前で車椅子などに座り神輿を迎えてくれた。元気な子供がいると高齢者はそのパワーを貰うという。私も最近は実感している。子供達が担ぐ神輿のパワーでともに喜んでもらえることが実現し一緒に喜んだ。企画・実施してくれた人たちに感謝します。来年もさらに進んだ交流の場になればと思う。

                             

 本祭りの日には家内や孫と一緒に神社にお参りする。謙虚な静かな気持で参拝する。孫は好きな遊び道具を買い楽しんでいる。日本人は八百万の神を祀り尊敬し親しみ、家内安全や健康を祈るようだ。しかし死後の世界について云々することはない。私の解釈では、死後の世界に踏み込まない考えは道徳であって、宗教ではないと思っている。我々の氏神様のお祭りは宗教的行事ではなく、長い間の伝統的行事であったり、交流を楽しむ文化的行事であると思う。みんなが自発的に活動する地域コミュニティの一つの事業と考える。このように考え、初めて地域の町内会も新コミュニティに進化することができる。それぞれの存在価値を持って、魅力的に活動する協働体となり得ると思う。

                                           松井義近

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2009年7月19日 (日)

姫川源流を尋ねて

Dsc02204 (白馬三山)

 白馬三山は私たちが結婚して間もなく上った山である。白馬大雪渓を歩いて登りながら、途中で飲んだ冷たい清水の旨さが今でも忘れられない。白馬(しろうま)岳、杓子岳、白馬鑓ケ岳を縦走し、雷鳥を見つけ喜んだ。

 その後仕事に追われて、尋ねる機会もなかったが、数年前大糸線北小谷駅から入るスキー場近くのホテルに行った。白馬駅から大糸線を北に進むにつれ、線路わきに姫川の清流が流れていた。きれいな小川で、ここを歩いてみたいと思いながら眺めていた。その翌日は予定どおり栂池自然園の観賞に行く。

 2年前(平成19年)の秋、旅行会社のツアーで八方尾根などの紅葉を見に行った。白馬に詳しい添乗員がいて、白馬村はハクバに統一されたが、山だけは昔の呼称シロウマが岳にしてあると教えてくれこの辺が明白になった。

 今回は温泉のんびり滞在の白馬である。私の目的は決まっていた。あの清流姫川の源流を訪ねることである。しかしどう行くのだろうかと、インターネットで調べた。南神城駅から歩いていける距離である。今回、旅行の最初の日、ホテルの近くの飯森駅に行く。無人駅である。乗るのは何両目か。切符はどうするのか。調べてみたらワンマンバスと同じ要領だということが分かった。分かれば何でもないことだが、明日まごつかないよう準備する。時刻表もわかった。

 二日目、朝食早々に姫川源流に向かう。現地を歩きながら、民家が大きく屋根が急勾配でトタンでできているのを見る。昔は茅葺の家だったのだろうと思う。源平の戦いの後で落人が住んだと言ってもおかしくないと思ったり、植木の手入れがいいなと感心する。まもなく源流入り口である。

 きれいな森だ。歩く道がまたよい。坂のところはアスファルトだが、平らなところは厚いじゅうたんの上を歩くような感じがする。なんと地元の人が木くずの「チップ」を敷いてくれていたのだ。こんな感じのいい道を始めて歩いた。心地よい森を通り抜けると、低い草むらから清水が湧き出している。ここが源流だ。水の流れを暫く見詰めていた。

 目的を果たして元の駅まで歩く。何と2時間待ちである。予定より短時間で回れたのだ。いつもの生活の中ならイライラするだろう。しかし、ここの駅は前に森があり、鶯がケキョ・ケキョ・ケキョと泣いている。森の静寂さが胸に迫る。そんな中で家内が駅舎の中に置いてあるノートを見つけた。何冊もある。しきりに感心するので私もその中の一冊を手にとって読んでみた。書いたのは去年の7月である。

「電車まってます!のんびりゆっくり時間が過ぎていきます。日々忙しい私にとってはなんだかとても幸せ。白馬に来始めて5年、いくつになっても、生きてる限りまた来たいですね。どこを見ても歩いても、のんびりゆったりできることがいい。故郷とはこんなものかなあー、なぜ毎年2回も来るのが私にも分かりません。いっそ住みつくか!!!」。

場所には「破らない」「持ち去らない」「他人に不快なことは書かない」と書いてある。皆が協力した結果がここにある。

 巡回の駅員がやってくる。「いい感じの場所ですね。小鳥は鳴いているし」と話していると、「シジュウカラのおうちがあります」という。使った切符の容れものだった箱が小鳥の巣になるように工夫してあるではないか。人々の心もいいなとしきりに思う。

 この地球上で、時間の流れが変わるとは考えられない。心がゆっくりゆったりしていることになろう。白馬の環境、それを維持し盛り上げる人々、それによりわれわれの心も洗われることを感謝します。              松井義近

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2009年7月12日 (日)

宇宙とバランス

Dsc02173 (熱心な講義に感謝)

 小学校の頃、地球ができたころの映画を見た。真っ赤に燃える地球が目の前に映し出されて、鮮明な記憶が残っている。しかし宇宙の起源については何も学んでいない。世界の学者の研究ももっぱら第2次大戦後になる。

 その後暫く、宇宙は我々の地球の属する天の川しかないものと思っていた。七夕ではないが夏の天空には天の川がきらめき、川のように、大きいレンズのようになっている姿があり、織女と牽牛が輝いていた。宇宙には天の川のような銀河が数え切れないほど広がっているようなことは想像もしなかった。

 この度「宇宙の誕生と未来」について。ご専門の佐藤勝彦教授からお話を聞く機会に恵まれた。宇宙の起源は137億光年前だという。目に見えないようなものができては消え、無のような状態からビッグバンが起きたという。何もないところからは何もできないと思う。しかし、無の状態から出来たという宇宙物理の解析はその時はなるほどと思った。けれど自分でその状態を説明することは我々素人には難しい。

 その中で「揺らぎ」が出てきた。宇宙のインフルエーションの時に生じた密度のゆらぎが膨張し「揺らぎ」が生じたという。急速に拡張すれば密度の濃い島と薄い島ができる。確定したところ不確定のところと混とんとし、次第に銀河や銀河団になったと考えられる。

 説明の途中で「色即是空」が出てきた。般若心経の中にある「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」と4回強調して述べる般若心経の中心部分である。昔、「目に見えるものは実態がない」と説明を受けたが、その後科学の研究が進むと、「目に見えるこの世と目に見えないあの世は渾然としてまじりあっている。形と影のごとく一体である」と科学者が解析していた。この方はペンネームで本を書かれていたが、数式でも説明できるという。我々は鮮やかな色彩のTVを見ることができる。しかし電波は見ることができないようなもので理解できるのではないかといわれる。

 いま、混然とした宇宙の出来る過程を聞くにつけ、宇宙も混然として出来ており、われわれの生きる世界もそのような中にある。気功の講座に参加していたとき、疑問に思っていたことを先生にお聞きしたことがある。“気”とは何ですかと。先生曰く「宇宙に遍満するエネルギーです」と。

 難しい理論はよく分からない。けれど宇宙の誕生と未来について概念的には頭に描けたように思う。我々の住む社会がとみに膨張すれば、あるところで破壊し、また元に戻る過程に入るが、膨張過程の宇宙も、自らの力でまた戻ることがなければおかしい。これが自然の法則であり、宇宙の摂理なのではないだろうか。私たちの経済社会も同じような仕組みではないのだろうか。今回の世界的景気ダウンも、米住宅が値上がりし、サブプライムの商品化投信がすごく広がった。「過ぎたるは及ばざるがごとし」でバランスが保てる経済社会に進まねばならない。

 宇宙の歴史137億光年を素人の私たちに2時間で話して下され、勝手な質問にも丁寧にお答えくだされ有難うございました。心から御礼申し上げます。

  松井義近

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2009年7月 5日 (日)

私の天地人

Dsc02159 (夏をひもとく朝顔)

 子供のころ祖父が家で茶の湯と活け花を教えているのを見ていた。活け花は三雅遠州流と言っていた。活け方を見ていると菊の花などを手で曲げていける。それである一定の形を作り上げる。形を頭に置いてその形になるように活けてゆくのである。祖父は筆と墨でそのモデル型を紙に描いていた。天と地と人であるというが、見て美しい7:5:3に活けるらしい。子供のころからそんなことが頭にあった。

 ある時韓国に遊びに行った。大分前になる。韓国の旗は中央に赤と青の巴が二つ描いてある。これはどういう意味なのか観光のガイドさんに聞いてみた。こういうことを聞く人はあまりいないのか、分からないから調べてきますという。翌日の説明で天と地であるという。他にも意味はあるようだが、私には何か不足に感じたのは言うまでもない。日本では巴は神社などで三つが描かれていると言うと、彼女曰く「天と地の他に三つ目は何か」と聞く。一緒に行った仲間が聞いていて「人がいる。天地人の三つだ」と答える。彼女は黙ってジーッと聞いただけであった。

 最近、昔担当した「中堅幹部育成講座」をチェックしていた。企業経営は理念も戦略もマーケティングも大切である。それはよく分かる。しかしどうやっても最終的には、たゆまず人材育成をした企業が成長している。日本の歴史を見ても、江戸時代から寺子屋教育があり、基礎作りに随分プラスになっていたと思う。明治になって急速に近代化が進められたのはこれらを含む日本の教育が基本になっていたのが分かる。

 そして「中堅幹部育成コース」を作ってみた。

  1.何をしたいか想いを決める。

  2.組織的価値開発

  3.プロセス(手順)計画

  4.行動力

  5.チェック、コントロール

  6.問題解決

問題だ、いや課題だと言われたこともあったが、問題を掘り下げ取り上げたテーマが課題になる。最近は掘り下げるべき問題で徹している。

 このNo.6の問題解決の中に「それは本質か」の項があり、次の言葉がある。

  顧客意識、原価意識、改善意識、団体意識、安全(健康、環境)意識である。

この5意識は新入社員訓練の冒頭のところで徹底する項目であるが、

 ・顧客が満足する。顧客に魅力的か。

 ・コスト減になる。・・市場競争の時代、積み上げ原価は通用しない。

 ・自分が向上する

 ・それぞれの力が発揮できる。

 ・社会環境に役立つ。

と説明が出る。これらを天・地・人でチェックするのが掘り下げである。「宇宙(自然)の摂理、土地の特質・文化、心豊か」になるかである。

 1.世の中は向上進化の連鎖であり、自然と調和する。

 2.真に美しい姿は他に尽くし共生する姿である。

 3.ポシティブな考えが心を豊かにする。

バランスが崩れると、人間は病気になる。会社は企業としての存在価値を失うことになる。一本道ではないから舵取りが難しい。

                        松井義近

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2009年6月28日 (日)

進化発生学とエコ

Dsc02136 (子供が放した合鴨)

 古鷹パソコンクラブに入った。このクラブは兵学校の同期の有志の会であり、昔は「貴様と俺とは同期の桜」の関係であった。前の戦争に負けて、それぞれの郷里に帰り、上の学校に行く者が多かった。その後は随分幅広い分野の仕事に携わっている。自衛隊もいたが、大学教授、銀行、建設、電気メーカー、自動車、新聞マスコミ、官公庁とおよそありとあらゆる分野に進んでいる。

 いま第一線を退き、これまで重ねた知識と情報網を基に、関連情報をネットで流してくれる。私自身は経営問題や関心がある情報、これまで取りえなかった裏情報等興味をもって見させてもらった。最近科学史・進化生物学を専門とするサイエンスライター・翻訳家の渡辺政隆氏の「生命38億年の旅―進化の物語を紡ぐ」を三明久兄がネットで送って下さった。光文社PR雑誌月間『本が好き!』の今月号までの2~5回分である。生物の進化については興味があるので一気に読んだ。第5回カンブリア劇場の最後の部分が強く私に迫った。『体のつくりが大きく異なる動物が生まれるには、相当大規模な突然変異が起きなければならない。しかしたいがいの突然変異は有害である。だが、そうした関門をクリアーして世に登場する突然変異体は「前途有望な怪物」だろう。かつてはこのような説もあった。しかし発生のメカニズムが解明されるにつれて、ほんの小さな突然変異でも、生物はがらりと変わり得るのだ。進化発生学(Evolutionary Developmental Biology)またの名をエボデボ(Evo -Devo)と呼ばれる研究分野の登場が、進化の研究に革命をもたらしたのだ』。

 この進化発生学は勉強したことはないし、新しい研究は知らない。しかし目が覚める研究だ。経営も人間も生きている。変わる環境に対応し確信を図ってきた。大きな革命が必要と叫ばれてきた。しかしこの研究からは「小さな変更でも生物はガラリと変わる」のだ。渡辺政隆氏の研究・翻訳、報せて下さった三明久兄に心から御礼申し上げます。

 さて、景気の底入れは発表されたけれど、直ぐによくなるとは誰も言わない。投資・輸出を見ても大きな変化はない。所得は増える見込みがないから将来に希望を持てない。しかし普段見ているテレビは画面が小さくなって見づらくなった。CATVに聞くと、メーカーでないと直せないという。販売店ではおきまりで古くなったからそろそろ・・・となる。国の定額給付金に加え、藤沢市では10%増の商品券が出た。別にグリーン電気商品にはエコポイントもつくという。早速販売店に電話する。エコポイントは経営者でないと分からないという。何に使えるのか調べてみた。6月19日271件が発表になったばかりである。政府は経済危機の前に比べ、エコ家電の売り上げは1.5兆円ほど増えると見積もっている。経済産業省は「現金給付と違い、ポイントは貯蓄に回らず需要創出効果は大きい」とみている。

 わが家でも古くなったテレビをエコ液晶TVに買い替えた。売れ筋は32型だという。今春より値段はさらに安くなった。でも量販店と比べると差はある。居間の隅に据えて小さな小さな劇場だと言って喜ぶ。みんなが喜べば大きな進化になると信じる。

                                          松井義近

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2009年6月21日 (日)

理(スジ)と情

Dsc02141 (庭のあじさい)

(岩には理がある

 司馬遼太郎氏の「この国のかたち」に「岩には理(スジ)がある」という言葉がある。前の戦争に負け、満州(中国東北部)にいた日本の兵士は強制的にシベリアに抑留された。極寒のシベリアで、食も十分でない生活に岩穴堀で苦しんだ人たちである。呉服屋にいた兵士はある人から岩には理があるから、その理を見つけ鑿(のみ)をあて掘れば効率よく掘れると教えられた。彼はその理を見つけ岩穴を掘り、ノルマを達成して日本に帰ってきた物語である。戦争中岩穴掘りを経験したことのある私は強い印象となった。中小企業経営も同じではないか。理を見つけ理に従って掘り進めれば生き残れる筈だと思った。以来この言葉を大切にしている。

 さて、経営方式を在来線から新幹線に変えるのも一つの選択である。投資信託にもいろいろのものがあり巨大化した。巨大化した株式投資信託は配当を高めるため「ものいう株主」になった。このためもあり、多くの企業が利益を優先させる考えをとり、日本人の元来もっていた人を大切にし社会を大切にする考えを忘失させた。とみに発すればまずしぼむ。アメリカ型の「株主最優先」「社員はコスト」の考えは見直されつつある。

 NHKTVクローズアップ現代、「人に優しい企業」が放映された。6月16日で私も見ていた。不況にも首切りなしの企業がある。その中の一つ長野県伊那市の食品メーカーは、「急成長は敵」を社訓として、48年間増収増益を達成した。利益を公共施設の建設など地域貢献に充てる姿勢に共鳴、全国から優秀な人材が集まる。これはあるべきコミュニティの実践である。ただ只管人材を養い、好況にも不況にも一定のリズムで、ひたすら研究し世間に役立っている。この形は在来線の列車で走る姿である。

(理を優先し情を添える)

 森脇兄から手紙をもらった。先日行われた分隊会関係のことと、「第58回日の会展」と「森脇ヒデ展、檮(とう)」の個展の案内である。日の会展は岡本先生を中心とする同好会の方々の出展である。場所が鎌倉であることから早速に見学に出かけた。多数の作品の中で森脇兄の作品はどこだろうと探す。見学者はまだ多くはなかったので家内と話す私の言葉が当日の当番の方の耳に入ったらしい。作品の展示場所を教えてくれる。勿論同好会の方で、絵について詳しい。私たち二人は作品「檮」の前に腰かけ見ていたが、何かしらこの絵は私に迫るものがある。私も植物は好きだが、この木は古い大木である。上に青い葉はない。しかし絵の白い部分に耳を当てたら吸い上げる水の音が聞こえるのではないかと思うし、生き抜くパワーを訴えてくる。得難い感動の時間であった。家に帰って個展案内で貰った写真をよく見る。こちらは訴え方が正面から来ている。大木の根っこの檮は生きようとする生命力を感ずる。絵は理屈をこえたパワーを訴えるが、この項冒頭の(理を優先し情を添える)は経営の神様松下幸之助氏の言葉であり、世の中は情を忘れては通らないことを教えてくれる。

                           松井義近

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2009年6月13日 (土)

願望・役割・徹底

Dsc02115 (育てた花菖蒲)

 以前実施したモチベーションサーベイを取り出した。このようなサーベイは部署ごとの集計と自由意見をまとめて報告するのが一般的である。このサーベイでもこの約束で実施し意見を書いてもらっている。しかし集計中にきわめて目に留まるものがあった。報告書には書かなかったが後で分析してみた。

 人材とは能力があってしかもやる気がある人であると考えていた。式で 人材=能力×やる気である。能力は智恵と技能で表され、やる気は使命感があり、積極的態度が必要である。今でも一般的には通る考えである。しかし、中堅幹部はあの手この手だけでは十分に世のため自分のために力を発揮できるものではない。途中で挫折しないためには全人格的なものが必要と考えるようになった。

 こんな背景の上にこのモチベーションサーベイは「モチベーションの期待モデル」を頭に置いてサーベイを組み上げた。

  モチベーションの期待モデル:(努力→成果の期待)×入手性×欲求の魅力度

 従ってサーベイの質問詞は3分野に分けた。さらにその中は11部門になった。

 (分野)       (部門)

1.仕事全般  1A仕事 1B仕事の期待 1C仕事のスタイル

2.入手性   2A事業 2B経営者 2C入手性(上役の管理)

3.欲求の魅力 3A給料3B労働条件、職場環境3C仲間、コミュニケーション

        3D自分の役割、尊厳 3E自己実現

欲求の段階はマズローの欲求の段階説を応用した。また1Aは現実の仕事であり、3Eは自己実現のためこんな風に仕事をしたいと同じ仕事でも区分している。

質問詞の順序は上記の順序そのままでなく答えやすいものを先にした。採点は強い肯定3点、肯定1点、否定△1点、強い否定△3点と2点差にした。平均点の問題と、△3点とした人の意味は強く考えねばならない問題という考えである。(注 △:マイナス)

 各部門を集計していると、ある部署で極めて高い採点の人A氏と、極めて低い採点の人B氏が目に止まった。概況を述べる。B氏は1Aから現在の仕事を移りたいと思っており、1B全体から現在の仕事に自信を持っていないことが分かる。2Aで会社の幹部から会社の将来を聞いていないとし、2C入手性(上役の管理)計はA氏△4、B氏△8とA氏もB氏も疑問を感じているが、レベルの差は大きい。特にB氏は給与の決め方は不公平、上役は仕事の成果を認めていないとしている。3A給与は世間並み以下、3C上役は意見を受け入れてくれない。3Dで仕事は任せてくれない、同じく昇進の機会はないと諦め、3Eは仕事のやりがいを感ぜず、これでは本人は伸びようがない。この人は本人の意識面から直さねばならないのではないかと思った。

 力が発揮できないB氏とは面接はできないが全般の状況からストレスがたまりバランスを失っているのではないか。本を読むとEQ(心の知能指数)が業績の75%を決めるという。EQを高めるとは 1、自分の感情を知りコントロール出来る。2、他人の気持ちを推察し共感できる。3、希望を維持し動機付けできるとなっているが、これを進めることは容易ではない。私自身もストレスは感じるし心の滞りは生ずる。その時は「願望・役割・徹底が強みを作り明日を創る」と唱え次をチェックする。夢・ビジョンが必要である。謙虚に学び、心を浄化し、志を立てる。役割は自己実現の場である。自己実現とは潜在能力を開花させることである。いくらいい墨を持っていても、硯がなければ墨をすれない役に立たない。徹底は徹底的にやること。集中してやること。いかに集中するかは、気功で習得した。これにより自分の強みを作り明日を創る。これは自分の生き方を知り自己の再発見となる。

                            松井義近

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2009年6月 7日 (日)

初めての田植え(こめこめクラブ)

 先日3日の夜NHKハイビジョンで、揚子江下流の8000年程前からの水田の米作りを見ていた。長い間引き継がれてきた農業のやり方を年寄りが守っている。牛で引っ張り田圃を掘り起こすやり方、日本から行った女子(元学生)も実習したが、重労働である。体がもたないでダウン。田植え前の「代(シロ)掻き」も牛で器具を引っ張り田圃をならしていた。

 藤沢市西部地区の中学校・小学校でも十数年前から学校・家庭・地域の三者連携事業として米作り体験学習を行ってきた。田植え、草むしり等に参加し、秋の収穫の喜びを味わうものである。この6月4日は田植えであった。藤沢公民館もバックアップしてくれている。早めに行ったが既に公民館のテントが張ってあった。

Dsc02087 (代(シロ)掻き)

 この前の5月2日、「代(シロ)掻き」を行った。凸凹の土を鳴らすのは大変だが、代掻き用のトラクターで掘り起こしながら平らに整地する。人はそのあとをならせばよい。これらの推進の中心は川村氏である。初夏の天気で、ボランティアで参加された人々もさわやかな風に吹かれて、家では味わえない気分だと喜んでいる。気分よく交流している形である。田圃をよく見ると去年の稲の根っこは見当たらない。この前にトラクターで掘り起こしてくれている。畔の周りは鍬で手作業の掘り起こしが行われていた。

 早めに集まった手伝いの方々、小学校5年・中学校2年の有志の親、「ボランティア葉っぱの会」の方、皆でテープを張る。田圃の両サイドに固定して張るテープ、30㎝ごとに印を入れてある。別に苗を植える時のテープをそれぞれの始める位置に置く。材料を集めてくれたのは学校関係や事務を引き受けてくれている西貝氏である。

 田植えに参加の小学校5年生が先生に引率されて続々集まる。みんな赤い帽子をかぶっている。通学時、赤い帽子の藤沢小学校と、黄色い帽子の本町小学校が来るはずである。おかしいなと思う。暫く考えてみた。何のことはない。通学用の帽子で田植えをやったら泥んこで汚れてしまう。スポーツ用の帽子をかぶっていたのだ。先生方も慣れておられる。子供達を集めて、農業の専門家長谷川氏が田植えの仕方を説明する。初めての体験の子どもが多いと思う。皆真剣に聞く。さあ田植えだ。うちの孫を見ていても、泥んこ遊びは好きである。だからというわけではないが、泥の田んぼに入るのにあまり抵抗がない人の方が多いようだ。ぬるぬるした田んぼの土の感覚を足で感じながら、テープの赤い印の向こう側に苗を植えてゆく。

スムーズに行っている。

Dsc02111 (市長と共に田植え)

 市長が見えられた。藤沢市は公民館を中心とした地域自治活動を推進している。この田植えも地域中心のコミュニティ活動である。市長は各学校を回りながら田植えに参加された。最後は「出張!市長室」でコミュニケーションを図る。これは大人の方が大喜びである。特別指導学級の生徒・児童には、民生委員や青少年育成協議会の方等が付き添ってくれている。結果的にはこの田圃の田植えが一番綺麗にできていた。

 小学校の子どもはいよいよ学校へ帰る時間になった。5年生の子供はいう。「腹が空いた」。

時計を見たら11時前である。「早く帰って給食が食べたい」。普段と違う田植えをし、よく動いたのだろうと思う。みんな元気でやってくれた。

 最後の田植えを中学校の生徒がやってくれた。後ろが既に植えてある。最後の2列をどうするか。2列目は並んで出ながら後ろの数人に植えてもらった。最後の1列は大人がやるしかない。田圃の真中に空きを作るわけにはいかない。ベテランの女性が最後の1列を植えて下さった。多くの人々が黙々とやって下さって無事に終わった。このような活動を進めてきた「こめこめクラブ」の方々、その支援をして下さった方々の「美しい姿」に感動して帰ってきた。

 これは学校の子どもたちも育つ、地域コミュニティのモデルになりえると思う。地域コミュニティは「それぞれの人が、それぞれの分野で、存在価値を持って、魅力的に活動する協働体」である。

                    松井義近

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2009年5月31日 (日)

グローバルバブル崩壊の前兆は?

(横浜港の黒船)Dsc02069

 日本でも1980年代のバブル時、株式も不動産も過熱し、その崩壊で経済が長い間低迷した。人間はそんな経験を持ちながら、過熱の渦の中に巻き込まれると、何時までも熱に浮かれてしまうのか。日経09.5.10朝刊に「大収縮(した)グローバル危機(の)サインは見過ごされた」が載っており、何回か読んでみた。08(H20).9.15リーマンプラザが破綻して世界の経済が雪崩のように崩れたのはよく分かる。それではその前に予兆はなかったか。自分で考えても不動産投資信託(REITファンド)が上がりすぎと思ったり、新興国を代表するBRICsの、膨張の凄さは支えられるのかと思ったり、金余り現象は行き場を探して投資する競争になっているのかと、疑問を投げかけるときがあった。では何時からどうおかしくなったのかは、分からない掴めないままであった。

 日経09.5.10朝刊の「検証グローバル危機」を読み直す。

(04年《H16》米国の経常赤字GDPの5.3%)

「米国人の借金は貿易赤字でみて一営業日あたり30億ドル(約3千億円)、こんな経済が長続きするとは思えない。(2005年春米コロンビア大教授ジョセフ・スティグリッツ)。米国の経常赤字は04年(H16)△6250億ドル(GDP5.3%)。米国の借金を増やすことができたのは、新興国や産油国が米国債や住宅ローン証券を購入、世界の余剰資金が米国に還流していたためである。これをFRB(米連邦準備理事会)の議長のアラン・グリーンスパンは、経常赤字は「市場機能を通じていずれ調整される」と楽観的であった。

(05年《H17》大企業(GM)経営不安)

米格付け大手が5月、米自動車大手GM(ゼネラル・モーターズ)債格付けを投機的段階に引き下げた。これにより経営不安が表面化した。

(06年《H18》個人住宅下落に)

米住宅価格はFRBが最後に利上げした06年6月をピークに下落に転じた。12月にはロサンゼルス近郊で住宅金融会社が破綻、10~12月のサブプライムローン延滞率は 13%と4年ぶりに高水準になった。

(07年《H19》欧米の短期金融、機能不全)

サブプライムローンの残高は1.3兆ドルである。バブル崩壊が誰の目にも明らかになるのは、0789日である。仏BNPバリバが、参加の3ファンドの解約の凍結をきっかけに、欧米の短期金融市場が機能不全に陥った。欧米銀行は傘下に巨額の資金を運用するファンドを抱えており、危機の本丸は銀行に移り、本格的な金融危機の引き金が引かれた。

(08年《H20》実体経済も雪崩)

銀行の資本が棄損し、金融政策の効果が伝わらなくなっていた。9月リーマン・ブラザーズが破綻すると、世界各地の実体経済は雪崩のように崩れた。

 NHK1でも5月17日「超金余りはなぜ起きたか」を放映していたが、それらを合わせ考えてみる。大本はアメリカFRBが、空前の金余りを放置し今回の危機を防げなかった。このため株、不動産、特に住宅のリスクを増大した。

 直接的にはサブプライムローン(収入の低い人向けの住宅貸付)問題がある。中古住宅の値上がりを前提に高い保証を与えてこれを証券化し、この金融商品を多くの人に売り、これが破綻したのである。

 米国は基軸通貨ドルのうまみに酔いしれて、事故を起こしたことになる。過去の信用を利用し、過大にドルを発行しバブルを拡大した。一部の人が儲けるために世界中の人がその影響を受けている。

                             松井義近

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2009年5月24日 (日)

自己再発見の旅

Dsc02053 (あいあいの哲理)

 前回の「5Sとゴール前」に書いた本棚などの整理整頓清掃清潔は今後も続くことだろう。その「もの憂いさ」を感じながら、本などの「ハード」の整理と同じように「ソフト」の整理が必要であると思いだした。自分のソフトはどうなっているか、診断協会神奈川県支部のホームページに登録したのを思い出だしてみた。第1部理念、第2部業態構築、第3部人材育成 である。永年経験した計数管理教室は第3部に加えればいいなと考えてみる。そこまで考えて、ふと頭に思ったことは、長い間蓄積したものをまとめたものばかりである。

 変化の時代に、自分のものは変わっていないなと思い、キーワードになる言葉をかえてみようと考えた。

 第1部 生き方(理念)なぜ生きるか

 第2部 業態構築(商業) 明日の業態を考える

 第3部 人材育成A(中堅幹部コース) 人材=能力×やる気

     人材育成B(計数管理初級・中級)数字は経営の言葉である

ということになる。考えてみて、これはこれでいいとして、どうして「感動」がないのだろうと思う。もっと新しい「感動」はなぜ起きないのだろうか。なぜ湧き出してこないのか。

 整理整頓清掃の余禄か「Syuugoroの格言集」が出てきた。作家山本周五郎氏の格言である。手にしてどうしてこれが手元にあるのか考えてしまった。インターネットに違いないと思う。これを学ばせてもらう。感受性のところである。「初めて見たものは一応感動する。価値の高いものにはとりあえず感動する。しかしそんな感動は、つかの間の快感を得るだけで、砂に水を撒くようなものだ。本当の感動というものは、同じものを見て、常に新しいものを発見する感受性がなければ得られない。そしてその感動から無限の創造性と可能性が生まれてゆくのだ。新しいものを発見する心は天分ではない。自分の目で見ようとすれば、誰でも得ることが出来るものなのだ」。

 感動から無限の創造性と可能性が生まれてゆく、と教えてくれる。今まで川喜多先生のKJ法を頭に置いて、カードを並べて進めた。もう何十年もやっている。これにより体系を纏めるのは頗る早い。そして一つのストーリーになる。けれどこれで創造性が出たと言えるかは疑問である。何か新しい考えと言えるものは、感動の中にあるようだ。Syuugoroの格言の中にある言葉が私に迫る。「感動する心があれば、自分の世界を持つようになる。育む心、愛する心を持つようになる。生きがいを持ち、自分の人生を築くことができる」。

 今までやってきたこと、これから死ぬまでやり続けるものは何なのか。何か思い当たる言葉があるなと思うが思い出せない。ずいぶん探した。自分が描いたメモである。「なぜ生 きるのか」のわきに「自己再発見の旅」とメモがある。今後もずっと自分探しの旅を続けたい。        松井義近

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2009年5月17日 (日)

5Sとゴール前

Dsc02019 《5S、清潔な施設》

(いかに捨てるか)

 1枚1枚の情報(中身)は必要になるときがあると大切に保存してあった。しかし5年たっても10年たっても一度も使わないものが多い。必要になったときどこにあるか探しきれないものも多いのが現状である。整理・整頓・清掃・清潔・躾は一般に5Sと言われている。情報ではデータを何時でも取り出せるようにファイリングするのが整頓であり、清掃は不要の物を分け、捨てる物を捨てないと大切な情報がゴミの中に埋もれてしまうことを言っている。また、現在情報の陳腐化は非常に早く、保守・整備(メンテナンス)しないと沢山情報を持っていても利用できない。これは清潔にしなければならないことである。

 今何か資料を入れようとするとスペースがなく、やむなく空いているところに一時入れ、次に探すとき苦労してしまう。本棚に詰まったものを整理して捨てないと後が入らない。物置の中はこれに拍車がかかった状況である。分類して燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ごみと分けて捨てることにした。まず物置から始め、スペースを作り、ここに本棚にあるものを選りわけて入れた。物置の中にはテープがあったり、個人情報のものがあり手間がかかる。よりわけ袋に入れて定められた日に出して行く。進めねばならないことは分かっていても、なんとなく物憂い仕事だなと思いながらやっていた。モチベーション・やる気が低いということか。

(勝負強さは脳がきめて)

 5月12日(火)NHKの「クローズアップ現代」を見ていた。「勝負強さは脳がきめて、ビジネスで生かす」であった。水泳の選手が200m競争で力強く進んでいる。いいぞと思っていると、150mを過ぎゴールが近づいてくると失速してしまう。技術のこともある、体力の点もある、しかし何かほかのこともあるのではないかと林医師は調べだした。脳科学は現在めざましい勢いで研究が進んでいるといわれている。その脳科学の理論で、達成したと脳が思うと失速するという。オリンピック金メタルを連続して獲得した選手も参加していた。選手は抜かれたと思ったら勝てない、否定的な言葉は使わないという。ゴール前になってもあと50mだ、あと30mだと脳が思い出すとそれが体に伝わり失速を始めてしまうようになる。私は詳しいことは分からない。しかしこの実験結果は実態に合っているなと思った。

 問題は集中力をいかに維持するかにある。解説で、集中しているが緊張してはいけないという。脳波については次の波長がある。30Hz~:γ(ガンマ)波、不安興奮の状態。13~30 Hz:β(ベータ)波、状況に応じ緊張している状態。8~13 Hz:α(アルファ)波、注意集中、ひらめき、瞑想の状態。4~8 Hz:θ(シータ)波、浅い睡眠、ぼんやり、瞑想の状態。~4 Hz:δ(デルタ)波:深い睡眠。これを見て言えるのは、誰でも不安興奮することはある。緊張したり、ひらめきが出たり、夢を見たり、そして深い睡眠に入って寝る。誰でも行うことはできるのである。茂木先生はリラックスに持ってゆく行き方として、大リーグ選手のイチローを例にあげ、体を何時も同じように動かし、体に覚えさせることと言われる。私は集中している状態を気功で学んだ。「学びて時にこれを習う」ことは不十分であった。

                   松井義近

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2009年5月10日 (日)

開国博Y150

Dsc02074 (日本大通りフラワーアートフェスティバル)

 横浜開港150年の記念イベントを見に行く。5月4日、日ざしは強くなく快適なゴールデンウイークである。桜木町駅を下りる。それまで地図が無かったので、Y150の地図を探し、やっと駅員からもらった。いつもは「みなとみらい」のランドマーク側へ歩くが、今日は汽車道を始めて通った。なんとレールがある。板張りの歩き安さ、周りの海やつつじの花で、落ち着いた散歩ができる。会場に入りまずチケットを買う。有料3会場一緒である。

 目の前の会場「Y150はじまりの森」に行列が並んでいる。とにかくここからと後ろに並んで会場に入った。黒船を率いてペリーが来て開国になったが、このペリーがもたらした三つの「たね」はなにかとある。さて三本柱は何だろうと考えた。蒸気船、鉄道、電信機。今当たり前に考えていることも最初にやるということは、すごく大きい事業であったことを改めて考える。開港150年の映画約20分もよくわかり納得して館を出る。外には巨大な「くも」高さ12メートルのスペクタルアートENEOS「ラマシン」が現れる。会場に来ながら歩道橋などに大勢の人が並んでいた。みなこの「くも」が動くのを待っていたのだ。横浜の街を劇場に変えるエキサイティング、と宣伝されていた。なるほどと思う。確かに人気がある。素晴らしいことだが、開港150年とこの巨大な「くも」は何が関連があるのか考えてしまった。

 2館目「Y150トウモローパーク」へゆく。スクリーンを見る。ソフトで強化され高度化した人間が最後は自滅、そして人間らしさをもとめて生き返るという筋かと思うが、高度すぎて意味を理解するのに苦しんだ。この会場も入場に時間がかかった。次の有料第3会場は90分まちと表示されている。えんえんと並んで待たされるお客、粛々と進み、みんなマナーがいい。しかし入って見たものは感動がない。中身が分かっていれば他に進んでいたと思う。開幕からゴールデンウイークの来場者数は約49万人と新聞に報道されていた。その中で有料入場者数は約11万人という。合点がゆく。

 外を進むと、海上保安庁の施設のそばに新しい「黒船」が繋留されていた。素晴らしくスマートで格好がいい。思わずカメラに収めた。赤煉瓦倉庫の近くは緑が多く、みんなのんびりと坐り好きなものを食べている。大桟橋埠頭も望める気分のいい場所だ。記念イベントを見るというよりのんびりと五月の風景を楽しんでいる人が多い。

 関内駅に向かう道、日本大通りにはいった。道路一面に花びらや葉っぱを敷き詰めてある。220mの“開港の花道”、当時の風景を花で描いている「日本大通りフラワーアートフェスティバル」。素晴らしい花絵が21枚である。そばにいた婦人が話しかけてきた。「チュウリップは新潟から、バラの花びらも海外で協力して貰いました。ボランティアの人たちが絵にならべたんです」と。市民の皆さんの気持ちが入っている。Y150、特定会場の催事だけではない、街の人たちが自分たちの街を盛り立てている。美しい「地域コミュニティ」の人たちと感じた。私たちもそのように動こうと思う。

                     松井義近

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2009年5月 3日 (日)

和洋融合の店開店

Dsc02048 《松月堂わびすけ》

(和と洋が一つの菓子屋)

 南仲通りを自転車で通った。和菓子の店の前に若い女性が大勢並んでいる。今日が開店日だと思いだした。この店は家内が和菓子を買う時に利用している。純和菓子の店で柏餅、十五夜の団子、祭りになるとお赤飯というようなものがすぐに頭に浮かぶ。ここの息子さんが洋菓子作りの勉強をしていることは聞いていた。三代目の息子さんの洋菓子と、二代目の現純和菓子の店とどのように展開するのか興味を持っていた。

(自作の看板)

 開店二日目家内と共に店に出かけた。表にご主人がにこやかな顔で立っておられる。大きな杉の木の根っこの部分だろうか大きな凝(コ)った看板があがっている。逸品である。簡単に入手できるような品ではない。そこに鮮やかに「菓子や」と書いて彫ってある。ご主人の書いたものであり、作ったものと聞く。看板の両脇には「鍾馗(ショウキ)」像が控えて魔除けの護符のようだ。和の店に相応しい感じである。

(ネーミングと和洋の融合)

 中で商品を見る。「おじいのマドレーヌ」・・「国産の米飴と蜂蜜を使用した、どこかなつかしい、やさしい甘さのマドレーヌ」。と書いてある。「おとうのどら焼き」・・「じっくり二日間かけて仕込んだ、つぶ餡を使用した、豆の薫りゆたかなどら焼き」。とある。そして「むすこのろーる」、親子三代続いた店であることはすぐわかる。それ以上に家庭的親しみを込めたネーミングである。「パイ饅頭」パイは堅めに焼いてあり、中の粒餡のかたさがいい。抹茶でくるんだケーキ、器にイチゴなどの実が載っている。ケーキかと食べるとプリン、後で調べると器は有田焼、そばつゆ用に使えそうだと家内が喜んでお勝手の戸棚にしまってしまった。この品は限定品のようだ。隣のパン屋さんも協力し、商売同士の感覚・協働の心を感ずる。この店の洋菓子を見ると、和菓子だけより洋菓子もプラスとなり、行く頻度が前より高まるだけではない。粒餡や抹茶の利用等和の味をうまく取り入れた新しい魅力が加わった店が出来上がったと思う。

(理念と新モデル)

 「しおり」が入っていた。「感謝 今日も朝から菓子にふれる幸せ 春の花 夏の風 秋の月 冬の空 藤沢の町と人が大好きで この町で菓子を作れる事に 日々 感謝 松月堂わびすけ」

 店の名前は「松月堂」、よく見るとそのわきに「わびすけ」と書いてある。「わびすけ」は椿の一種であり、大辞典で調べると、花は一重咲きで赤紅地に白の更紗模様がある。茶花に用いられるようだ。若主人に聞いてみた。「日本人は桜が好きだ。“わびすけ”は赤い花に白い模様が入った、味わいある花である。私はこの花が格別に好きだ。店を作るときはこの「わびすけ」を店名にしたかった」。個性豊かな若主人、しかし今回は「松月堂」を大きく、そのわきに小さく「わびすけ」が載っている。そして和洋融合のビジネスモデルを作り上げた様である。消費者に価値が認められてよく売れるビジネスモデルの仕組みを作り上げて下さるよう期待している。これで「しおり」の理念が実現される。

                         松井義近

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2009年4月26日 (日)

友あり文(ふみ)来たるまた楽し

(おにぎり屋)

Dsc02046_2 (感想文)

 家内の友人長房さんに「経営のディスカバー2」を贈呈したら、手紙を添えた感想文を下さった。「この本を頂き天にも昇る嬉しさ、眼精疲労でドクターストップがかかっているので、一気に読めないのが恨めしい。1日1頁じっくり読もう」。という。

 手紙に曰く「ご著書から物の観方、考え方を教えられます。今回は特に日常生活を広い視野から鋭く見つめられ、思考される先生に驚嘆しました。それにみずみずしい感覚です。さらに『簡にして要』の文章、まさに『文は人なり』だなあと。これも長年のご勉強、お仕事を通じての修練の結果だなあと・・・しかし『学ぶに遅いことはない』先生の二冊のご著書を座右の書、すなわち人生の指南書として、物を観る目を深め、日々感動の心を大切に、密度の濃い豊かな生活を送りたいと願っております」と。このような手紙を頂きただただ恐縮しております。一方「経営のディスカバー」が少しでもお役に立つならば励ましとなり、もっと精進を重ねねばならぬと思っています。

(レッドソックスの記事から)

 「レッドソックスの球場の大きさが大リーグの中で一番狭いとは。しかも欠点と思われるところを生かし、利点に変えてしまうとは」。07.7.15『大リ-グレッドソックスと中小企業』を読んでの感想である。「松井氏は中小企業の経営コンサルタントとして商店街のあり方と結びつけられた。さすがである。松井氏の視点から自分の町をみた。私たち会議の会場近くのK駅南口のスペースに登場した“おにぎり屋”が繁盛している。値段はコンビニより少々高いが美味しい。おかずも置いてある。早朝は通勤者、9時すぎるとリュックを背負った中年・高齢者で賑わっている。今まではカレー屋・パン屋などが商っていた。しかし撤退。これも利用者の立場に立ってニーズを考えた商いの価値と言えないだろうか」。

(現地視察)

 折角いい感想文を頂いて、そのままにしておくことは出来ない。仕事の前にK駅を降りてその店を探してみてみた。南口改札を出るとすぐにわかった。探す必要のない目の前である。しかし私もこの前を何遍か通ったことがあるが、気がつかなかった。小さな売店である。店の外の看板を見ると「ほんのり屋」とある。“本海苔”と“気持ちがほんのり”と掛け合わせたものか。有明産の海苔を使っているとPRしてある。有明海は潮の干満の差が大きく、海苔が柔らかく口によく溶けて食べてカスが口に残らない。浅草海苔と比べこの点が有明産のストレングスである。

 店に入って見る。3段のケースにおにぎりが陳列して並べてある。売りたい新商品「鯛めし」は上段である。「昆布」や「明太子」の売れ筋と思われるものは2段目になっている。二つ選んで買ってみた。鯛めし270円、椎茸昆布180 円である。確かにスーパーの品より少し高い。けれど高いと感じさせない工夫はしてある。昆布のおにぎりは昆布の他にシイタケも入っている。価格政策は現在まで成功してきた。試作品と思われる鯛めしは、コメントを差し控える。右奥に簡単な席が六つある。一般に駅のソバ屋は立ち食いである。街のそば屋は席に座れるが、昼飯時は相席でお客は当然ということなのか文句は言わない。「おにぎり屋」は米製品を提供している。年配者のために席を設けているのがいい。野菜のおかずも日本人・老人好みの栄養バランスを考えている。この店は小さな工夫が山積している店であり、顧客の人気がいいのが分かる。

 冒頭に書いたように、目の悪い長房さんはドクターストップで毎日一節しか読めないという。その方が貴重な時間を割いてコメントの手紙を下さった。おかげで私も現地で店を見る機会に恵まれた。有難うございました。

                     松井義近

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2009年4月19日 (日)

今こそ流通パワーを発揮するとき

Dsc02039 《大きさ世界一だった戦艦大和》

(大型店のメタボリックシンドローム)

毎日新聞415日朝刊の報道で、セブン&アイ・ホールディングスとイオンの092月期連結決算の状況が出ていた。イオンの売上高は52307億円(前期比+1.2%)、営業利益は1243億円(前期比ー20.3%)である。セブン&アイは売上高が56499億円(前期比―1.8%)、営業利益は2818億円(前期比+0.3%)である。 イオンは郊外型の大型ショッピングセンターの進出に力を入れてきた。その他同業態のマイカルやダイエーの合併・買収(M&A)を救済の意味を持ってやってきた。その志は評価できる。しかし総合スーパー部門の比率は8割に達していると報道されている。一方、セブン&アイもそごうと西武百貨店の、百貨店部門は振るわず、コンビニ部門が営業利益の8割弱を稼ぐ形になっている。

 従来から大規模出店等投資額が大きいと、その回収が困難なところが多かった。現在のように需要の拡大が望めないと、益々リスクは大きくなる。ショッピングセンターの投資責任者は投資額をいかに少なく収めるかで、あらゆる手段を図りそのきつかったところほど生き残っている。過剰投資は人間でいえばメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)と似た状況であろう。ただ規模の大きさを競いその優位性を主張する時代は終わったと見るべきである。

(コンビニ型スーパー)

 日経新聞414日(朝刊)によれば、イオンのコンビニ型スーパーの出店が報道されている。売り場面積は130~200m2 、品目数3,000で従来のスーパーの3分の1、生鮮品や人気の高い低価格のプライベートブランド(PB)などスーパーと同じ物を扱う。この超小型スーパー、店名「まいばすけっと」は売上1,000億円規模、投資150億円で、商店街の空き店舗やコンビニ退店あとに出店し、採算に合うモデルができたとのことである。日経新聞418日朝刊一面に価格攻防が載っている。「1990年代の価格破壊を経て、メーカーがいったん取り戻した価格主導権は(今は)消費者と流通の手中にある。その象徴となったPBは、メーカーにとっても存在感が大きい。例えば家庭用チーズ。PBシェアは2割の雪印乳業などを抑え4割に達する。(以下略)」。私はかねてから小売業態には大きく分けて二つあると言ってきた。一つは「基本的豊かさ対応業態」であり、もう一つが「個性的豊かさ対応業態」である。前者に属する毎日食べる必需品は、給料が増えず仕事の機会も減少している現在、PBによる低価格品は顧客ニーズの先端にある。中小商店はもともと消費者に近い立地にあり恵まれていた。イオンが空き店舗を利用するということは投資から見て採算がとれると予測が出たのである。中小商店も横の連携を強めて流通パワーを強めれば力を発揮できる。後者の個性的豊かさを目指して顧客の満足を図る小売業態は顧客の好みに応じ商品とサービスを提供する。高級専門店のゆく形である。

(我以外皆師なり 吉川英治)

 TV東京の日経スペシャルが「ガイアの夜明け」ショッピングセンター(SC)戦国時代を取り上げた。あちこちのSCをとり上げているが、現在も採算を保っているのは「ららぽーと横浜」のグループの様である。私も06(H19)年63日このブログに投稿したが、この名前を現地の人に聞いたら、「らんらんと歩いて楽しく港に来る」意味があると教えてもらった。このグループは顧客の意見を制度的に行っている。一般的に主要対象客の意見を聞いているところは売上もいいのである。地域コミュニティ作りへの参加は、この面からも重点項目である。地域に密着することは品揃えの面ばかりでなく“情緒豊かに心豊かに明日の生活を売る”ためにも大切であり、参加者も心が通い情報が得られればそのことが楽しくなるのである。                                                    松井義近

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2009年4月12日 (日)

桜に錨

Dsc02017 (旧海軍兵学校大講堂の桜)

(錦帯橋)

 今年の旅行は錦帯橋、宮島、呉、できれば江田島の自由旅行を三日間で考えていた。たまたま洪さんから海軍兵学校75期中国地区総会が江田島・呉であるとeメールを貰った。彼は次の機会にと言ってもそのときどうなるか分からない。いけるときに行っておきたいという。私も同感である。申込書をもらって手続きをした。

 47日朝早く出発し、「ひかり」、「のぞみ」と乗り継いで岩国に行く。錦帯橋は暫くぶりである。私は兵学校3号(1年)時代に岩国分校に入っているので何度か来ている。日曜日の外出と言ってもクラブの他はここしかない。今回一緒に行った家内は橋を渡ったことはなかったという。アーチ型の3か所と前後でプラス2つの橋を渡る。板を重ねた感覚の橋は急な上り下りではなく、段も滑らかである。脚がよく痛むという家内もあまり抵抗を感じなかったようだ。渡り終わって橋の下から裏側を覗きこむ。裏側も厚めの板を順に重ねた構造と思った。

 タクシーの運転手はしきりに「巌流ゆかりの柳」や「槍倒しの松」を説明してくれた。これも面白いが、板が重なり合って弧をなすこの橋の作り方にすっかり惚れた。中小企業経営で、みな同じようなレベルの人で、力を合わせて働いている。いわゆる協働で支えあう。橋は弧をなして、嵐にも強い橋ができるように、経営も強くなると思った。今年は桜の開花宣言が早かったが、丁度満開の桜見物ができた。あらかじめ日をきめてゆくとたいてい散った跡など満開に出会うことは少なかった。これもプラスの情景か。

(潜水艦等見学)

 海軍兵学校第75期会中国地区総会呉大会は旧兵学校、現術科学校から始まった。8日道路側の門を入ったところは桜が満開である。見事な情景に全員が見とれる。在校中に見た桜もこんなに奇麗だったろうかと考えてしまう。おそらく時間5分前で走り回っていたから観賞する余裕はなかったのではないかと思う。

 翌日は呉で潜水艦「なつしお」を見学する。潜水艦に入るには御承知のように

ハッチ(蓋のついた昇降口)から垂直に降りねばならない。皆80歳を過ぎた人たちである。婦人方もいる。3~5mあるところを降りねばならないので、ムリをしないよう幹事から説明がある。家内も恐れをなしてしきりに私に相談する。ここまで来て中の見学をしなかったら一生後悔する、2度とは来られない、ということで中に入ることになった。私はかつて乗艦し見学をしたことがあり、構造の大略が分かるので家内にアドバイスする。1.ハッチから入るのに両手を使えるようにする。2.艦内で仕切りの防壁を跨ぐとき頭を打たないよう帽子は被った方が良い。の二つである。

 潜水艦「なつしお」は全長77.40m、幅10.00m、排水量2,450ton、乗組員75名、推進方式ディーゼル推進方式である。説明が終わって中に入る。危険と思われるところに全部担当員がついていてくれた。全員怪我もなく、婦人も元気で満足そうであった。暫くぶりで潜水艦を見学し、昔と大きさが違うのが第一の実感。潜望鏡があまりによく見えるのでビックリである。潜水艦救難艦「ちはや」も見学することができた。現在人命を大切にしているのがよく分かる。見学させてくれた海上自衛隊呉の方々、計画した75期中国大会の方々、心から御礼申し上げます。

                           松井義近

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2009年4月 5日 (日)

地域の歴史を掘り下げて

(「浜辺の歌」除幕式Dsc01925

(源頼朝公落馬地)

 藤沢市辻堂に地域の歴史研究家がおられる。辻堂生まれで、小学校5年の頃子供友達と遊んでいたとき、年寄りから「お前たちよく聞いておきなさい」と言われた言葉がある。「昔源頼朝さんが、相模川の橋供養の帰りにここで突然落馬し、それが原因で亡くなったと言い伝えられている。この場所を覚えておきなさい」。と話してくれた。言われた一人は平成191227日三浦藤沢信用金庫辻堂支店駐車場に「源頼朝公落馬地」の除幕式を行った郷土史研究会代表の大石静雄氏である。相模の国八的ケ原京・鎌倉往還は歴史的意義がある道であり、辻堂駅前町内会の協力を頂いた。

 大石氏は戦時中に海軍に志願し、その航空隊で参戦したが、最後は新しい飛行機の前線への輸送に従事していた。生き残ることができて昭和2012月中旬に復員した。3年ほど過ぎて、頼朝公の落馬について、源平の書物を調べているうちに「保暦間記」を知ることができ、子供のころ聞いた落馬場所が「八的ケ原」と記されていた。今まで一般に言われてきた怨霊説は自分で手を下したことはなかったといわれるし、相模川橋供養に臨席して酩酊して落馬するような将軍でもない。52歳の頼朝公は馬上で体に突然変異を起こして落馬したのではないかと思われる。この辺のことを地元中学校で話したが、辻堂市民センターでも講演した。この講演を聞いたYさんから夜電話を頂いた。「今なら助かった?源頼朝」と本に出ているという。その本によれば現代医学では蜘蛛膜下出血であろうという。

      参考:「今なら助かった源頼朝」平成8年 角川書店 宮田親平著

        「保暦間記」保元元年(1156)~暦応元年(1338)182年間の記述書

(浜辺の歌)

 湘南海岸は浜辺の美しさで全国的でも有名である。「浜辺の歌」の作詩者林古渓氏はその情緒的描きだしをしてくれた。今回325日(水)歌にある場所辻堂海岸に案内板が設置された。板に曰く「作詞者の父、三郎は羽鳥学校で教鞭をとっていた。幼少の古径は父母に連れられて辻堂海岸に来た際、東海岸の砂浜の高台より相模湾を眺めた。右に富士の麗峰、伊豆の山々、沖に煙たなびく大島、左望めば房総半島、手前に三浦半島、近くに江の島を見て、足元の渚にはこれまた美しきピンク色のさくら貝を見た古渓は、この一大パノラマが脳裏に深く焼きついた。三十数年後の大正2年辻堂海岸を想いうかべて「浜辺の歌」を作詞した」。(概要記述)とある。この詩はまさに風の音で、雲の有様で、寄せる波も、貝の色も浜辺の情景を描き出している。今回この除幕式に参加することができ、藤沢市民の一人として、作詞者・作曲者が我々に心をなごませてくれる喜びと、この文化的事業を通じて改めて湘南海岸辻堂海岸を再認識させて下さった郷土史家大石静雄氏さらに協力して下さった地元の方々に感謝を申し上げます。

     あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる

     風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も   浜辺の歌 第1

                              文責 松井義近

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2009年3月29日 (日)

「侍ジャパン」のキーワード

Dsc01644 (草野球)

 今週はWBC(ワールドベースボールクラシック)で第1回に続き連覇を果たしたニュースで日本中が沸いた。サンディエゴでの二次ラウンド、韓国に敗れ、敗者復活戦で再度キューバと対戦する。負けたらこのまま日本に帰らねばならない。緊張の中を立ち上がってくれた。キューバを破りドジャースタジアムの準決勝でアメリカと対戦、大リーグで投げている松坂選手が踏ん張りこれを乗り切る。

 決勝戦は因縁の対決ともいうべき韓国戦、対戦成績は一次ラウンドから2勝2敗の5度目である。日本は誰が投げるのだろうか。決勝戦の前に第1回優勝監督王さんから優勝トロフィーが納められる。王顧問は原監督と握手、そして韓国チームのコーチ、ダッグアウト前にいる足の悪い監督と握手。見ていていい感じの情景だと思った。日本の投手は楽天の岩隈選手である。前回は低めに投げて相手を〇点に抑えている。どうしてもやらねばならぬ用事があった私はスイッチを切ってTVの前を離れた。

 昼食は遅く1時頃になったか。気になるTVのスイッチを入れる。日本は2:1で勝っている。8回の表岩村選手の犠打で追加点を入れた。3:1だ。韓国も必死である。8回裏に1点を返す。岩隈投手は実によく投げた。7回2/3まで2失点で抑えてくれた。杉内投手も見事に役目を果たした。重圧と緊張の中、ダルビッシュ投手が登場、スピードのあるすごいボールを投げるがまだ若い。1点リードの9回裏一死から連続四ボール、手に汗を握るという言葉があるが胸がキーンと痛い。二死後に打たれて同点。後でTVに載っていた画像で日本人の姿は口をポカンとあけ目もうつろ、自分もそうだったかと思う。球場の観客数54,846人が行方を見守る。

 延長10回の表、イチロー選手の2点適時打がでる。日本中が歓声、拍手、興奮のるつぼとなった(報道)。イチロー選手はヒットが出ないで人知れず苦しんでいた。苦しさ、つらさ、心の痛み、本人の言葉でいえばこのヒットは「神が降りてきた」という。あの大打者は神の力で打てたヒットと謙虚であり、これが決勝点である。韓国の金監督はイチロー選手がバッターのとき、はっきり敬遠を指示すべきであったと悔やんでいた。TVを見ていた私も、1塁走者が2塁に盗塁したとき、イチロー選手は敬遠されると思った。10回の裏2アウト、ダルビッシュ投手は最後の打者と対峙、2ストライク、次に投げたボールは打者の打ったバットの先に見えた。3振、ゲームセット。

 日本は2回連続WBCに優勝の快挙を果たした。今、日本は苦しい状態にある。侍ジャパンの選手も監督もコーチもよく戦ってくれたと思う。困難に立ち向かっている我々に希望と勇気を与えてくれた。優勝式で貰ったトロフィーに背番号25、村田選手のユニフォームをかけた内川選手、村田選手はいい後輩を持って幸せだとその喜びをかみしめていた。

 たまたま26日「検索キーワード見つけ方講座」に参加した。後藤さんからのメールで知り、テーマに興味があった。時間は19時から21時、昼間働いている人を対象にしていると思うが、この時間に参加するのは珍しい。インターネット専門の言葉が出る。SEO(サーチ エンジン オプチマイゼーション)、テキストには「入力されたキーワードの検索結果で、広告以外に上位表示されるようにホームページを最適化すること」。とある。これをどう作るかという内容である。講座の説明の中でキーワードには、ビッグキーワードもあれば、ミドルキーワードもあり、スモールキーワードもある。スモールキーワードは特異性のある言葉で注目される。中小企業の育成を仕事としている私には、スモールキーワード、特異性のあるものも役立つという話はプラスになる。アメリカは何でも大きいのがいい文化である。日本の高度成長の時代はアメリカのまねで進んだ。今回WBCをTV観戦したが、日本はスモールボールで勝ったといわれる。小さくても美しさを求めそれを愛する日本人、単打を連ね、機動力を発揮し、日の丸を背負って、苦しくとも諦めない気力、正に侍力の発揮により優勝を獲得した。「侍ジャパン」がキーワードで勝ち抜いたWBCだと言えるのではないか。

                        松井義近

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2009年3月22日 (日)

中沢選手の気概

Dsc01813 《西郷さんの銅像》

(気の通じる人)

 中沢佑二選手のサッカー人生を見て勇気を与えられた。3月17日の「NHKプロフェショナル仕事の流儀」を見ていた。「見ている人を幸せにすることができて、楽しませることができて、その人を見て夢を持つことができる。そういう人がほんとのプロフェショナルなのかと思います」。中沢選手のこの言葉を私なりにその通り繰り返すと、正に小売・飲食業の姿になる。彼は横浜Fマリノスのディフェンダーで、身長1m82cm、31歳で酒は飲まない。そして照れ屋と来ている。歳も身長も違うけれど、どこか私と似ているなと思う。しかし彼はワールドカップの主将であり、監督と共に高い目標に向かって進んでいる人である。

(絶望的状況でも流れを変える)

 日本はかつて太平洋戦争に負けて焼け野原になった。食料も不足する中、皆で頑張って世界第2位の経済大国になった。その間苦しいけれど楽しいこともあり、夢もあり、やりがいのある幸せも感じながら進むことができた。しかし最近は不景気で企業は赤字、失業者は出る、1929年のような恐慌が起きるのではないかと戦々恐々としている。中沢選手を見ると、サッカーを始めたのは小学校6年、プロになるような人は5歳で始めないといけないといわれる。遅れた自分を取り返すために、3か所掛け持ちで練習し自分を鍛えた人である。また誰だって失敗することはある。難しい局面になり、不安で心配で、行き詰まりの中に入ってしまうことはある。中沢選手は、失点し絶望的な状況になっても、気迫あふれるプレーで勝利を目指し、悪い流れを断ち切る。

(サッカーも商売も相手の動きを見ながら進める)

 サッカーの守備をどうやるのか。口では難しいようである。彼は身体で組織的守備を見せてくれた。こちらにも相手がそばにいる。左に相手がボールをキープしており味方がついている。そのボールがどこに来るか。右・前・左を見ながらとっさに判断し動いてボールを奪う。これを瞬時にする。これは商売でお客の動向を予測しながら商品とサービスを考え、顧客に明日の暮らしを提示し夢と希望を持たせる、苦労しながらやっている姿と同じではないか。

(明るい未来に変えられる)

 経営者の話を聞いても、あと一歩、あと一つを大切にし、勝利への道を歩いてきている。プロの中沢選手も人の何倍も努力し、世界を相手に活躍している。私はこの人にひかれ教えられ勇気を与えてもらった。「未来は変えられる」といわれる。不景気でも明るい未来を作らねばならない。

                     松井義近

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2009年3月15日 (日)

試練は繰り返される・・恐慌に至る人間の弱み

Dsc01904 (横浜のお台場模型)

(目に止まった本)

 3月7日(土)たまたま東京で会合があった。初めての場所なので会議に遅れぬよう早めに家を出た。受付までに時間があり近所の本屋に寄る。すぐに目についたのが浜矩子著「グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに」である。現在同志社大学院ビジネス研究科教授でマクロ経済分析、国際経済を専攻しておられる。断片的に見てきた最近の状況を、よく描き出して読ませてくれた。以下感想と共に概略を記したい。

(利益最大目標の企業)

 恐慌とは「恐れ慌てること」であるが、経済用語としては「景気の循環過程における最悪の経済状態。過剰生産に基づく資本主義的固有の矛盾が爆発し、価格の暴落、失業の増大、破産、銀行の取り付けなどが起きる現象」である。「過剰生産に基づく資本主義的固有の矛盾」が出る。ひたすら利益最大化を求めて生産を拡大する供給側と、そうして造り出されたモノを吸収する能力におのずと限界がある需要側との間に生じるミスマッチである。つまり利益最大を求める方と買うほうではどこかで合わなくなる。これが恐慌であり、何時か起きる。

(ドル金交換停止)

 1971年(昭和46年)815日アメリカはドルの金交換を停止した。所謂ニクソンショックである。これは金融自由化に向けてパンドラの箱の蓋が開いたときといわれる。(パンドラの箱は最高神ゼウスがすべての悪と災いを封じ込めて、人間界に行くパンドラに持たせた箱である。)金の裏付けから解放されれば、安心してドルを増刷し経済を膨張させることができるようになる。このためアメリカは財政膨張による需要創出に邁進し、70年代末には二桁インフレ、短期市場金利も二桁レベルが当たり前になった。

(ゼロ金利と債権の証券化)

 日本では長期にわたるゼロ金利政策と量的緩和措置が行われ、海外ではタダ同然の金利負担で資金を調達し、これを外貨に換えて運用していた。世界的金余り現象である。「投資しなきゃバカ」という風潮になって行った。そんな中で債権の証券化という手法が考案された。住宅ローン再建を担保にした証券で売り出したのである。2008.9.15グローバル恐慌に向けて地獄の扉が開いたのである。低金利の日本の資金等が世界的カネあまりを起こし、今回の危機の遠因ではないかと浜教授はみておられる。

(合成の誤謬)

 恐慌時自分だけが生き延びられる一縷(いちる)の望みがあれば、人はどうしても抜け駆けの道を選んでしまう。浜教授は合成の誤謬といわれる。一人にとって正しい行動が全員にとっても正しい行動とは限らない。例えばアイルランド一国にとって、預金全額保護は危機迫る中では合理的選択だ。だがイギリスなど他の国々が預金流出に見舞われる。全員にとってはアイルランドの選択は誠に不合理なものである。またここの金融ショックはあっという間にめぐりめぐって日本の地方の企業や投資信託保者に波及してくる。

(ドルと円)

 ドルについては2月22日の「ブロック作り」ですでに述べたように国際基軸通貨として信任が低くなってきた。危機の遠因をなした「円」はいわば「隠れ基軸通貨」となっていた。

                          文責 松井義近

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2009年3月 8日 (日)

二度の世界恐慌・・A、バランスある知性

(Dsc01911_2 宥座(ゆうざ)の器)

 NHKの「その時歴史が動いた・・世界恐慌はなぜ起きた」(09.3.4 2200~)をみた。去年の9月以降この関連の放送は多い。失われた10年の時に、この関連や1929年前後の状況を表した本などを探したが身近にはなかった。やはりその場その時にならないと人間は真剣に考えないのであろう。二度の世界恐慌前後から求められるものは何なのだろうか。

 第1次世界大戦は1914年(大正3年)に始まった。日本も英・仏側で大戦に参加した。このときの戦争は物資消耗の甚だしい総力戦である。日本は直接の戦争被害もなく必要な物資を生産し供給し、多くの利益を得ていた。国内の景気も良く、子供のころ見た歴史雑誌に、料理屋の帰りに下駄を捜すために、お札に火をつけて探した成金の人が出ていて、そのころの状況を察することができた。軍拡競争を防ぐために1922年ワシントンで条約をむすんだり、1923年(大正12年)関東大震災で、日本はつぶれるのではないかと心配したり、幻の経済は後退した。一方アメリカは大戦勝利後富の集中に溺れていった。クレジットカードによる信用拡大は自動車の急速拡大をもたらし、今買って後で支払う快適な生活が続いた。リスクを無視して節度を失い、一かく千金をつかむ風潮が続いたのである。

 1929年9月には英国中央銀行は金利を引き上げた。アメリカに投資されていた資金はイギリスへと移動を始めていた。1024日(木)ウオール街の証券市場では10時開店とともに株価はジリジリさがっていたが、その直後株は大暴落を始めた。銀行協会の株買いも一般の人々には情報も届かず、最初の日で30億ドル下がったという。後に暗黒の木曜日といわれる。1300以上の銀行が閉鎖され、世界恐慌が始まった。米国は輸入関税を引き上げ、国内保護を図り、日本の重要輸出産業の生糸は大打撃を受ける。日本議会で片岡蔵相は渡辺銀行が破産したと発言。実際は資金の手当てはついていたが蔵相の耳には入っていなかったのである。渡辺銀行は取り付け騒ぎにかかり破綻した。銀行は1か月で37行が休業に追い込まれ、地方は女性哀史が始まる悲惨を続けた。

 1931年(昭和6年)事態を立て直しするために当時の軍は旧満州に進出、止まることを知らずさらに中国に侵入した。この流れは太平洋戦争へと突っ走っていった。期待を抱いて組閣した近衛総理大臣も押し切られてしまったと見える。太平洋戦争に負けて、本州・四国・九州・北海道の中で日本人は生きてゆかねばならない。食糧を買うにも、石油を買うにもドルが必要である。焼け野原に家を立て、少しづつ工場を作りながら日本中の人が働いた。景気の波は受けながらも高度成長を果たして行った。そのあとは経済停滞の失われた10年である。アメリカの経済は大量生産大量販売を続けた。後にはこれを続けるために金融手法を開発し、サブプライムローンの証券化商品を作り、リスクが隠されたまま世界に販売されていったのである。2008.8.15日リーマンブラザーズは不良債権で資金繰りに詰まり破産した。

 日経09.3.4朝刊によれば「公的資本注入は世界で100兆円に迫る」と1面に出ている。公的資金注入を受けた日米欧の主な金融機関は米国=74兆円、欧州=16兆円、日本=注入枠12兆円で百兆円にせまっている。さらに膨らむ公算が大きいという。行き過ぎの是正には金がかかる。

 3月4日藤沢市産業センターで「湘南産品ブランド化フォーラム」があった。事例発表②で「漬物道場から生まれた完熟梅の逸品~おばあちゃんの知恵とブランド化~」に興味を持った。講師は(有)寿屋漬物道場の代表取締役横尾昭男氏である。話の中で「宥座(ゆうざ)の器について」現物で器の中に水を入れ実演しながらお話があった。「空きのときは傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり返る」という戒めの言葉であった。(『荀子』宥座編参照) まさに人々の考え・行き過ぎた行動から起こる結果の戒めである。第一次世界大戦後1929からの株大暴落・世界恐慌、そして第二次大戦後の2008年からの同様な状態を見て、真剣に対策を考えねばならない問題と考える。「ザミドルコースイズザベスト(The middle course is the best) 」、中学で英語の先生が何回も何回も繰り返し読んだ言葉である。

                        松井義近

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2009年3月 1日 (日)

原子爆弾の悪夢と光明

Dsc01726 (元気に遊ぶ子供たち)

 太平洋戦争は若い人達には歴史上のこと、私にとってはつい先日の出来事という感じである。中学校の歴史の本を見ると、「一瞬にして廃きょとなった広島」(1945年105

)という広島の爆心地の、草まで焼き尽くした生々しい姿が写されている。(p.194~195)

 当時私は広島県江田島にある海軍兵学校の生徒であった。原子爆弾の投下されたその日には、講堂(教室)でダットサンのエンジンの勉強をしていた。4サイクルエンジンは吸入・圧縮・爆発・排気と動く。これは後に自動車運転免許の構造試験のとき役立った内容である。教室は一つの机に二人で坐っている所である。たまたま隣の者がウトウト居眠りを始めた。居眠りをすれば講義の内容が分からなくなるから、木でできた机上のネームブロックでコツンとやってもいいことになっている。いつもは私のほうがやられることが多いので今日はチャンスと思ったその瞬間である。窓の外でピカッと光った(午前8時15分頃)。写真を撮るときフラッシュにマグネシュウムをたいていたが、瞬間的に同じような光り方だと感じた。友達は目を覚ました。そして「今何か光ったろう、何だ」と小声でいう。教室の外には高圧の電線が何本もある。原子爆弾などということは全く考えなかったから、「電線が空中でショートしたんだろう」とこたえると、そのときドカンと大きな爆風が窓を揺るがす。友達は素早く机の下に潜る。私もそのまねで潜る。間もなく「空襲である。全員退避せよ」と放送がある。すべてそのままにして、山に掘ってある横穴に向かって走り出した。途中まで行くと放送があり「待て、戻れ」という。我々は立ち止った。やれやれという気持ちで空を見ると薄暗い煙がもくもく立ち上がっているではないか。みんな何だろうと首をかしげる。群馬県西部生まれの私は、浅間山の爆発したときの煙とよく似ているなと思ったが、あの辺に火山はない。ある者はいう。火薬庫が爆発したのではないかと。なにもわからなかったが、しばらくして原子爆弾という言葉が耳に入ってきた。

 物理の教官が広島の視察に行ってきた。朝の整列時に言う。「あれは原子爆弾ではない。1トン爆弾を空中で爆発させればあのくらいの威力はでる」と。我々は関係する知識がないからそんなことかと思うしかない。そのうちに原子爆弾対策が出てきた。肌が出ていると火傷する。今後空襲のときは白い風呂敷をかぶって退避せよと。私は考えた。B29が爆弾を落とすのだが、こちらの高射砲は弾がB29に届かないようだ。日本の飛行機はすでに壊滅状態であった。空襲のとき白い風呂敷をかぶるのはいいが、これで勝てるだろうかと、口に出せない心配を秘めてしまった。

 その後長崎にも原爆、ソ連が参戦と続き8月15日終戦となった。その日は何となく普段と違っていた。私たちのクラスは、午前の最後の勉強が軍事学である。教官は我々の部監事、場所は当直将校がいる官舎の前の芝生に座って行われていた。その時の内容ははっきり覚えていない。今頭にあるのは「七分三分のかねあい」という、海戦の結果の統計から割り出した教訓である。時間中当直下士官が来て当直将校をしている部監事に何か報告。間もなく授業を中止して千代田艦橋前に集まれという指示である。待つこと暫らくでラジオ放送があったが、雑音で内容は分からない。食事を終って13時、副校長から訓示があった。「日本はポツダム宣言を受諾した。今後は軽挙妄動を戒め、科学の勉強に邁進せよ」と。何もすることもなく17日になった。1号生徒(3年生)はある大きい講堂に集合せよといわれる。生徒隊監事から「戦争敗因」の話である。①兵器:電波探知機、水中測定兵器、飛行機、原子爆弾 ②総力戦観念に不足 ③人的方面の三つをあげた。今回ここで取り上げたのは原子爆弾である。さらに、私たちが入校したときは井上成美校長であった。終戦時海軍次官になった人である。戦争の大勢は分かっていた人と思う。短期間に生徒に必要な教育をしなければならないとき、生徒には英語の教育は必要であると英語の教育をしてくれた。生徒は基礎的勉強をするのが任務であると、第一線から戻った教官に戦争の話を禁止した。このような教育を受けて、東日本を中心とした生徒は8月23日宇品港経由で焼け野原の広島に入り、バラック建ての広島駅から貨車に乗って東京に向かった。

 その後の調べでB29は1万メートル上空から爆弾を落とし、地上500~600mで爆発させた。爆発点の温度は摂氏100万度を超えるという。熱で家の瓦は溶けたのでその付近は地上で2000~4000度になる。木造家屋は燃えあった。当時中学校(旧制5年)の上級生は勤労動員で広島の軍需工場で働き、下級生も家屋の間引きの片づけをやっていた。中心部にいた人たちは爆風で叩きつけられ、熱で火傷を負っている。放射能の影響は何年も続いて体を痛めた。同じ分隊にいたT君の母は住まいが爆心に近いという。母との連絡は途絶えていた。帰郷の日には広島をあきらめ、知人を頼って私たちと一緒のグループであった。宇品港を上がるとT君の母がいるではないか。兵学校の生徒が帰郷を始めたのを聞き、毎日桟橋で待っていたのである。T君の顔は笑顔であふれた。そして生きていてくれた母と抱き合った。母は原始爆弾投下のときまだ防空壕の中にいたのである。

 今思うに日本は石油は取れない、広い農地はなく食糧自給率も低い。1億の人たちが生きてゆくには、石油も食料もその他多くを輸入しなければならない。輸入するためにはドルが必要であった。それを自動車が、電気製品が、建設の事業等々が輸出で稼いだ。多くの人たちが「科学の勉強に邁進した」ことが寄与したに違いないと思っている。そして平和を続けることができたのであるが、今また世界中の経済が苦しい時に来ている。競争はあっても平和に暮らせるよう、若い人たちに期待するや切である。

                         松 井 義 近

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2009年2月22日 (日)

ブロック作り

Dsc01893 (松下政経塾茶室)

 もう去年になるがアメリカのリーマンブラザーズの破綻以来、信用は低下し、クレジットが利かないようになる恐れもあるという。ということは経済社会が縮小する。延長線上にない今までと違う世界が生まれることになる。ある人はドル時代の黄昏という人もいるが、1971年ニクソンショックで金・ドル交換停止になり、需給による変動相場制になった。力の下に信任されてきたアメリカのドルはいくらでも印刷することができる。最近の状況はドルもグローバル通貨として信任が低くなってきた。将来はどういう世界になるのだろうか。世界は地域別ブロックとなる考えもある。通貨もそこの地域のものとなり、ブロックごとに支えて生きる経済を考えねばならない。これからは地域戦略を注目してゆかねばならない。(2月16日 NHKBS1夜9時10分放送を参考にした)

 たまたま2月15日茅ヶ崎市と藤沢市の境にある「松下政経塾」に行く機会があった。「自治体経営改革プロジェクト~公開パネルディスカッション」である。場所は知っていたが内部に入るのは初めてである。遠くから見えた塔は「黎明の塔」、正面にある大きなアーチ門は愛・平和・正義・勇気を表わすという。中を案内してもらっていると剣道場があった。私自身は中学以来剣道を唯一のスポーツとしてきた。それも終戦までである。剣道には長い間人々がやってきた精神の伝統がある。剣道場を見てそんな“強い気”のよぎるのはやはりそれを愛しやってきたからかと思う。茶室もあった。中には松下幸之助氏直筆の掛け軸がある。「素直」である。この言葉は中学2年の時担任の先生が教室の入り口に掲げてくれた級訓である。意味深長であるが私の人生においても、人の意見を素直に聞くことの大切さ等意義深い言葉であった。あの偉大な松下幸之助氏が大切にしていた言葉であることを知り偉大さの背景を知るような思いであった。

 基調講演は早大教授北川正康氏、パネリスト多久市長横尾俊彦氏、浜松市長鈴木康友氏、藤沢市長海老根靖典氏、コーディネーターPHP総研永久寿夫氏で多士済済である。それぞれの地域から変えねばならないが、地域からなにを変えるか。権限を持つ中央官庁は今も縦割り行政である。国の権限委譲は作業の委譲だけであり、地域主権の日本に、我々が変えねばならない。日本の洗濯が必要である。アメリカのような軍事・外交の中央と、州のような道州制の問題も出た。ところで、浜松市は人口82万人の政令指定都市である。南部の都市部があり、北部は過疎的な地域である。そのための施策は多岐にわたり費用もかかる。実態を見ると、遠江、三河、南信の天竜川下流周辺の文化・経済域の関係が非常に強いという。横に長い静岡県で見ても東部・中央・西部で大きく違う。また特別市の中には大きすぎて住民が不便を感じている市もある。

 小さく町内会レベルで子供会を考えても、子供の数は減少し町内別の活動ができなくなっている。町内の子供会に対する補助金は多少あるようだ。町内会で子供会のない所は町内会からの補助金はない。なんだか世界レベルで考えても町内レベルで考えても同じような問題がある。そんな中で藤沢市は地域の人を信じて、とにかく進んでゆこうとしている。きっかけをつかめば大きく前進できるようにう。

                                        松井義近

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2009年2月15日 (日)

脳科学のパワー

Dsc01771 (遊行寺) 

 ビジネス書で人気の高い「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ著、茂木健一郎訳を家内が買ってきた。副題として「頭のいい人は『脳の使い方』がうまい!」とある。茂木先生は、NHK「プロフェショナル 仕事の流儀」で最新の脳科学を披露してくれるので興味を持っていた。早速読んだ。印象に残っていることについて感想を述べることにした。

1.ポシティブに考える。

 プラス志向、出来るという肯定で前進することは多くの人が触れる。中国の諺では「人間万事塞翁が馬」を例に話す。マイナス発想では目標に至らないことが多い。企業の診断中も首をひねることが多いのはこの場面である。「思考を喜びに向けるための効果的方法の一つは、ポシティブに考える、つまり“自分を幸せにしてくれる考えを選ぶ”こと」。神様は人知を超えた大きな力を持ち、昔は神様の言うことが宇宙の真理であった。現代は科学で示されることが宇宙の真理である。新しい脳科学で説明されると心からそう思う。

2.脳にいいこと

 「鏡に向かって自分を褒める。ただそれだけで自信がつきます。自分はダメな人間だと思いこめば、エネルギーは縮小し、幸福感は減っていきます。自己中心的でも傲慢でもなく、自分をあるがままに受け入れて長所を認めようとしているだけ」。「いい気分になる事実へと『視点を転ずる』・・絶対いいアイディアが浮かぶ筈」。「瞑想は大いなる力とつながる大切な時間」。「生活の中に精神性を見いだしている人はそうでない人より満たされた人生を送っている」。“自分をあるがままに受け入れて”を読んでいるうちに遊行寺で聞いた「ひろさちや」先生の「南無そのまんま」のお話しとどことなく似ているなと思ってきた。南無は「信じます」「帰依します」であり、あるがままの自分を認める人が、仏の心で、幸せな人になれますと。

3.長寿の沖縄の人とコミュニティ

 ドラッカーは「経営」の問題からコミュニティを見ていたと思う。その後地域コミュニティを重視してきた。私自身はドラッカーのそのような考えに啓発されて進んできた。この本では「世界の長寿男性・女性が日本、特に沖縄に多く住んでいる。・・その秘密は、沖縄の人々の世代間を超えた交流にあるようです」。「コミュニティ意識がどれほど個人の幸せに強い影響を与えるかを示す事例と言えます」。この「コミュニティ意識が個人の幸せに影響を与える」という。

4.胸のエネルギー

 昔、頭は智恵だけの働きで、心は腹にあったり胸にあったりと考えていた。ここでは「胸には強力なエネルギーの場が存在するというのは科学的な事実です。非営利の心理学研究組織ハートマス財団の研究者たちは、心臓が直径数十センチの電磁場を作り出していて、それは脳が作り出す電磁場の五千倍強力である」。これらのパワーを読んで、かつて体験し一生大切にしようとした、気功によるエネルギーを感じた。また、ケネディ元アメリカ大統領の「国が自分に何をしてくれるかを問いたもうな、自分が国に何ができるかを問いたまえ」という有名な言葉がスカーレットの物語として出ている。奇跡的に病気が治った婦人は「身体を使い、心を使い、お金を使って、まだまだ私は人のために何かをしてあげられる、それはこの上もなくうれしいことでした。・・自分のために『人が何をしてくれるかではなく、人の幸せのために『自分が何をしてあげられるか』を、何時も考えるようになりました」。これにより、杖なしで歩け、医者も信じられないようである。

                            松井義近

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2009年2月 8日 (日)

明暗を分かつ気と技

Dsc01887 (中小企業診断協会神奈川県支部の展示)

 リーマンショックの大津波でアメリカも欧州もBRICSも世界的な景気後退である。今や売上高の急減に見舞われている。日本の企業は円高も加わりさらに採算の低下である。日経09.2.5朝刊によれば電機大手のこの3月期連結業績予定は、日立▽7,000億円、パナソニック▽3,800億円、ソニー▽1,500億円、東芝▽2,800億円、富士通▽200億円,NEC2,900億円、三菱電機100億円、シャープ▽1,500億円弱、(大部分は米国会計基準)である。自動車と共に日本経済を支えてきた企業の数字を見て、日本はどこまで耐えられるのかと心配になる。

 明るいニュースはないか。同じページの左側を見ると日本マクドナルドホールディングス2008年12月期決算が出ていた。連結経常利益が182億円と前期比17%増である。売上高は3%増の4,063億円と過去最高である。外食企業が軒並み売上げを落とすなか、節約需要にマッチした100円メニューなどの「お得感」でうまく来店客数を増やした。同紙12ページを見ると、「消費者の志向を読み取る」の見出しの下、「山パン、全期営業益21%増、値上げ効果も」とある。山崎パンの200812月期の連結営業利益は、前期比21%増の250億円前後になったようである。原材料価格の高騰は響いたが、品質の改善を伴った値上げや、消費者の安値志向をくみ取った展開が効果を出した。売上高は3%増の8,000億円強とある。電機関係は輸出の影響が大きく、為替の円高をもろにかぶっている。マクドナルドも山崎パンも日本国内の需要を対象にした食の関係である。

 そんなことを頭に置きながら、同日(2/5)横浜で行われている「第30回工業技術日本見本市テクニカルショウヨコハマ2009」を見に行った。第2日目であり、お客の数はマアマアというところ。ここには(社)中小企業診断協会神奈川県支部でも3コマとって出展している。そのコマの近くまで行って、去年までと違う様子が訴えかけてきた。何が違うのか。前面にポスターが下がっている。そのポスターは多くの種類が2枚づつあり訴える力が違う。顧客と相談する机が四つあり、その席がポスターにより半分隠れている。全面解放したら落ち着かないし、全く閉鎖したら入る人はいなくなる。今までの後部壁面掲示から前進掲示し、しかもそのポスターは垢抜けした品を感じた。(後で聞いたら値段は前年と変わらないとのこと)私が行ったとき相談席はいっぱいであった。

 何故この変化が生じ、感じがよく、相談される人も増えたのか。今年はO理事が責任者として同期会の18期、19期、20期のメンバーでプロジェクトチームを作った。中小企業診断士に登録した3年間のクラスがこれを担当したのである。その中にはコピーライターの専門家もいる。物づくり、売上拡大、人づくり、IT関係と揃った人材が分担した。それをチェックリストに基づく「クイック診断」から始められる協働体制で進めた。自らの企画で推進するモチベーションの高いチームが出来上がったのである。このようなコミュニティは強い。1月25日号の「宴の夢からそれぞれの責任へ」でもドラッカーの言葉を書いた。「人は使命を共有し、情熱を持ってともに働くとき、最大の成果を上げる。」と。勿論これらは支部長・副部長や多くの先輩のリードの下に行われたものである。結果として「輝き」が出て、この人々が必ず中小企業に輝きを出してくれると固く信じて家に帰ってきた。

                       松井義近

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2009年2月 1日 (日)

深刻な不況と企業再生

Dsc01879 (寒中の紅梅)

 世界的な同時不況の影響は地方百貨店にも及び, 1月29日に丸井今井が民事再生法を申請したと報じられた。昨年9月~11月の本店売上高前年比は△11.0%である。このような中で日経ビジネス09.1.26号の「恐怖と鬱の経済学」(関沢洋一・清水栄司)の内容を注意深く読んだ。「プリントン大学のダニエル・カーネマン教授等が考案した行動経済学や神経経済学において、人の経済行動が理性だけでなく「感情」に影響されていることが(科学的に)初めて明らかにされた。・・経済学は、人間は経済的行為においては、理性的に判断するという大前提に立っていた。・・脳科学、認知心理学が明らかにしたのは人間は理性一辺倒になれる動物ではなく、理性(IQ=知能指数)と感情(EQ=感情指数)がバランスよく機能してこそ生きていいける動物だということ・・」。かねて考えていたことが出てきて強く同感した次第である。生活者は現実にはお金を持っていて品物を買うことができても、株価の下落等による逆資産効果、あるいは会社の経営が困難になり、給与の減少も起こる不安感を持てば消費を控えてしまう。

 1月29日「ニュースウオッチ9」を炬燵にあたり横になって見ていた。「懺悔の書」という中谷巌氏の本の話になった。私は起き上がってTVを注視した。たまたま前日本屋さんに行って高く積まれたその本を見てきたばかりである。規制がなく、好きなように、自由に、民活でやってきた数年前の反省であり、懺悔の書である。グローバル資本主義のもと競争を徹底した社会で人間の不幸が救いがたくなり、少数の人が多くの富を持ち格差がひどくなった世の中になった。人間は社会と一体になったとき始めて力を出す。お互いに信頼しあい過ごせる社会、社会のぬくもりを感じながら過ごせるコミュニティ、今はこれが必要なのだ。それぞれの国にも歴史があり心があり文化がある。経済学に不足するこれらを大切にしたコミュニティを作らねばならない。

 企業が破綻する直接的原因が資金面にあることは分かる。しかし、企業を再生させるには資金面だけでは不足で、借金を減らすだけでは一時的な問題解決であり、企業の真の向上はない。経済学者も金と物だけで押してきた極度の資本主義を反省している。金が重要であることはよく分かる。しかし企業はそこで働く人のやる気、モチベーションを高めない限り、真の企業再生にはなりえない。再生の中でモチベーションは経営者が考えろということで企業はよくなると考えているのだろうか。組織におけるモチベーションは、ドラッカーが言われるように大きな問題である。

 現在真理を紐解く物理学は単純明快な式を出す。例えばE=mcは美しいという。しかし人の世はそれを理解した上で複雑になる。科学の分野でも脳科学が発達し、心を持っている人間は心の満足に向けて進んでいる。金だけですべての問題を処理するのは難しいことになり、人間は金と物と共に心の豊かさを求める。事業でも情緒的顧客満足が大切であり、さらにお互いが信頼できる社会づくり、協働のコミュニティを作らねばならない。

                       松井義近

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2009年1月24日 (土)

宴の夢からそれぞれの責任へ

Dsc01877 (藤沢市立H小学校の教育目標)

 日本百貨店協会発表の12月売上高は前年同月比9.4%の減少である。この減少は、消費税率引き上げがあった月を除き、1965年以降単月で最悪の落ち込みであるという。部門別では減少率の大きい順に紳士服・洋品△16.2%、家庭用品△14.8%、身の回り品△14.3%、婦人服・洋品△12.1%である。不景気になると紳士服はいつも新しい服を買わず古いもので間に合わせるのが毎度のパターンである。毎日必需の食料品は△2.6%で、このような景気ダウンのときの強さを示している。トレンドとしては主力部門の婦人服・洋品が連続18か月、身の回り品が連続16か月マイナスが目立つ。

 中小企業でもこの形は変わらない。しかし売上を伸ばしているところもある。そのような会社は何をしているのだろうか。企業の商品の分析をしてみると、商品全部がマイナスになってはいない。あるものは減少しているが、あるものは伸びており、全体ではマイナスになっている。このような傾向・状態はほとんどの会社にみられる。顧客の好みは変わるし、経済も変わる。特に心理的に気持ちが落ち込んでくると買うことにも影響し、売り上げの減少を拡大してしまうことはほとんどの人が実感してきたところである。

 ではプラスの会社は何をしてきたか。マイナスの会社は何が足りないのだろうか。

1.先の分析で何が伸びているか傾向をつかみ市場の特質を把握し集中しているところは強い。経営者はその状況を感じ取っていることが多い。しかし体制を作らねばならないし、今まで売ってきた実績があり躊躇する。また、差別価格政策の一貫なら全体の計画を進めねばならない。さらに“あと一歩”として安さに何を加えられるか。正直な商売で信頼を高めるのか、あるいは品揃えの豊かさをやるか。こまめなサービスは大きいところよりも小企業の方が小回りを利かせられる。

2.モチベーションの高い組織は強い。「人は使命を共有し情熱を持って共に働くとき、最大の成果をあげる」というドラッカーの言葉は繰り返し掲げている。モチベーションが下がっては何を言っても空念仏であり、何をやっても地に足が着かない。

 この21日の報道はアメリカのオバマ大統領の演説についてであった。「恐れより希望、争いより団結」を訴えまとめの言葉を「新たな責任の時代」としていた。証券化商品等については損失の元を断つ仕組みについて検討中とされている。それぞれが責任を分担する新しい時代を描いているが、具体策はこれから発表ということである。私たちは人任せにしているわけにはいかない。

3.宴の夢を捨て真剣に改革を進めよう。大企業小企業の区別なく、機械を売って消耗品で利益を稼ぐやりかたはある。新しい時代になりインターネットを作った業者は、多くの人に利用させ、広告収入で稼ぐ三方満足の制度はよく研究したと感心する。しかしサブプライムローンの証券化商品は値上がりしてきた住宅が値下がりをはじめても、その商品は分散しすぎてどこにいくらあるのか正確な把握は難しかったようで、手を打つのも遅れたと思われる。9月15日リーマンブラザーズが破産(申請)した。すべてを市場に任せたやり方、理念・道徳なき金融資本の仕業かと考えてしまう。科学は肯定のための否定と小林・益川教授は教えてくれたが所詮は物理学の上であり、経済現象は弱肉強食で行かざるを得ないのか。私たちはオバマ大統領の言われるようにそれぞれが責任を持って明るい社会を築きたいと思うや切である。