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2008年12月28日 (日)

明日の小売業態

(スーパーマーケット)

Dsc01599  小売業は生活者の購買行動の最初の段階で一番に選ばれること(ファーストチョイス)を目標に進む。このために業態作り重点三項目“情緒的顧客満足・生活役割別専業化・構造的に付加価値を”を推進する。業態変化については以前より小売商業の仮設を書いてきた。今回はこれらに付け加えて考えて見たい。

(類型1)物販店、商売の原点である“顧客”と“商品”を結びつける。

 従来の物を中心とする専門化である。中心になるもっとも強い商品を作らねばならない。工場では技術を研究し、最新の製品を作ることができる。しかし商品が何で出来ているか、またその働きを明らかにしただけでは売れない。多くの創業者が苦労するところである。

(類型2)百貨店、専門店、買う人の欲求を中心とした情緒的顧客満足。

 「顧客の生活に果たす役割」に該当する部分である。マズローは欲求の段階説で生理・安全・親和・尊敬・自己実現の5段階の内容を示した。これは多くの人に受け入れられている。顧客関係ではコンビニエンス・クリーン・カムフォタブル・キャラクター・カルチャーの5Cで示すことができる。販売上のキーワードは便利・自然・快適・個性・心が豊かであり、何れも物でないソフトになっているところが大切である。小売業は消費者・生活者に直接向き合っており顧客のこのニーズ・欲求にこたえねばならない。

 戦後間もなく百貨店は人々に魅力を与えてきた。提供するファッション性は大切であるが、高級化して、関連する固定費は上昇した。最近10月の高級ブランド各社の売上げは、前年比10~25%下落したと新聞に報じられている。高級ブランドが一斉に大幅値下げするのは異例のことである。

(類型3)生活役割別専業化

 専業とは専ら一つの仕事を業とすることである。この仕事をここでは“生活”を選んだ。主力が物別の専門化と区別する必要があった。生活には主力が普段(ケ)の生活用と、好みに応じられる業態とある。役割は中身を分けた場合テーマ等も含める。

(3-1)量販化、基本的豊かさ対応業態

 昭和30年代にセルフサービス等を武器とするスーパーマーケットが生まれた。一人当たり持てる売り場面積の増大は、労働生産性を上昇させ、大量仕入れと共に価格の安さを強調出来るようになった。顧客には関連買いもできるように、より多くの品揃えをするほど便利であり、商売も有利となる。食品中心のスーパーは総合スーパーいわゆる量販店になり、専門のマーチャンダイザーを置いたが扱うものは必需的日用使用のものであった。ここでも店舗の大型化が進み、いくら郊外でも固定資本は増大していった。

 スーパーはまとめて買えば安くなるやり方である。しかし時代は高齢化している。特に75歳以上の単身者は05年197万人から、30年には429万人に急増し3人に一人が“独居老後”を過ごすという。顧客アンケートからも「まとめて買えば安くなるのはわかる、けれど捨てる物が多いのはもったいないです」と意見が出る。

 先日ハワイ島へいった。夕方地元スーパーへ寄った。平台の生鮮売り場には秤がおいてある。必要なだけおとり下さいということである。値段の表示はグラム単位である。

(3-2)嗜好専門化、個性的豊かさ対応業態

 今の顧客は好み(価値観)が多様化し、自分の好みに合わないものは買わない。また地域による特徴付けも意識的に加えられている。中小企業はすべてを品揃えできないのが一般である。そこで生活テーマ別に絞りこんでゆく。例えば某社は「磯の風味とみやびなぬくもり・・」を好む人にしぼりこんで行く。 SPA(自社ブランド衣料品を売る直営店)もこれに合う客の集客に細かい心配りをしている。

(類型4)小型システム化、連携、能力・資源の統合

 コンビニエンスストアの普及は大規模小売店舗法で大型店の出店が規制された影響もある。スーパーよりも小型で、よりお客に近づき、普段の生活に必要な頻度の高い商品を揃えて、顧客に便利さを提供した。商品の種類から見たら昔の万屋である。しかし商品管理等ITの導入により近代化し、小さい個店、システムの集中等小型でも行ける小売が出来上がった。分業とチエン化の一つのモデルと言える。これは電気小売業でも販売・仕入れ分業化が実施されている。

 自動車の普及から郊外型ショッピングセンターが数多く作られた。しかし今や、高齢者人口の増加や環境・エネルギー問題、都会での冷たい空気等が生じ、対応できる地域コミュニティを中心にまとめてゆかねばならなくなった。小型なら個別対応もし易いし、こま目にムダの対処ができる。これは日本人のストレングスである。商品も地元資源を活用し、こだわるところがそこの生活にあう。現在の都会生活から次の世紀に進んできた。組織的には「人は使命を共有し、情熱を持って共に働くとき、最大の成果を上げる」とドラッカーが言われた言葉が哲理といえよう。

(類型5)再構築化、原点復帰の経営 

 再構築は損益分岐点の引き下げから始める。現在の成熟社会は前例に乏しい。不景気になり金融が麻痺し経済が行き詰まってしまったが、極端な金融資本主義をグローバル化した前例はないのではないか。消費者・生活者のライフスタイルも変わっている。これらの把握が原点であり、新しいビジョンによる経営再構築を迫られている。消費者の変化が分かる「顔が見える対応」を原点とし、顧客に夢を与える「明日の生活を売る事業経営」を進めねばならない。        松井義近

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2008年12月21日 (日)

やすらぎと信頼のCOCO湘南

Dsc01798 (ハワイアン)

 床屋さんへ行った。肩がこっていますといわれる。今まで肩こりはあまり念頭になかった。ところが一日置いたその日の夜、首筋が痛くて目が覚める。起きて痛み止めを塗って寝たが、今までにない感じである。日本では高齢者の3人に一人は一人者になるという。女性の方が長生きだから、女性の一人が多いのが現実だし、今後もこの傾向は続くと思われる。一人になったらどう生きるか、考えたくないのが普通だが、逃避するわけにはいかない。こんなことが頭にはある。

 COCO湘南クリスマスコンサートに行った。COCO湘南については詳しいことは何も知らずに行く。プログラムも歌詞もみんな手作りで色鮮やかで奇麗に印刷されている。サポートしてくれる仲間がいるようだ。「クリスマスサロンコンサート」が始まり、NPO法人COCO湘南の代表者の開会ごあいさつがある。代表者西條節子氏のお話を聞くのは初めてである。今はここ(湘南台)と同じものが、海老名と高倉にあるという。ついでクラリネットとピアノの演奏が始まる。クラリネットは徳武敦さん、ピアノは青山夏美さんである。「星に願いを」に始まり、知っている歌が出ると参加者も一緒に歌う。ピアノの演奏も続く。曲が引ける人がうらやましい。次いで地元バンド「ヒマナスターズ」のハワイアンである。プログラムを見たときマヒナスターズかとびっくりしたが、これもボランティアのようだ。ギター松田康照さん、ウクレレ国松昭さん、斎藤はるみさん、清水桂子さん、川本雅子さんである。みんな「あああ、あこがれのハワイ航路」と陽気に歌った人たちか、顔がなごむ。小学生の歌があったり、幼稚園くらいの女の子がフラダンスを踊ったり、子供が出てくるとおばあさんもおじいさんもみんなニコニコである。サロンコンサートの最後はビンゴゲームであった。みんな言われた数字を見つけて折る、集中している。

 終わって西條代表からお話を聞く機会を得た。一般の老人施設についてはおぼろげながら分かる。しかしCOCO湘南はどう違うのだろうか。先生は淡々とお話ししてくださる。年寄りは孤立するのでこれをなくす。特に心の孤独をなくさねばならない。はじめは知らない人が集まって、家族的な生活をするのだ。趣味を持っている人は趣味を生かし、子供の遊びも一緒にする。ライフサポートもおり、年寄りの“道しるべ”になるようにしたいと。高い理想を持ち、これを実現してこられたのだ。

 企画した人々と話し合い決めたことが本になっている。人間関係がとれる人数は10人で暮らすのが基本と明確である。理念のアウトラインが5つある。

 1.自立と共生の高齢者住宅

  街の人々とふれあいを作りながら生活する。

 2.共同運営と分担

  共同出資と運営は自分たちで行う。

 3.地域と生きる

  交流の支援で地域のコミュニティに役立つ。

 4.健康に暮らす

  高齢者住宅と保険医療福祉の両輪。

 5.元気印の発信基地

  新しい暮らしの発信、実験を進め、情報を提供する。

 なんで“COCO”なのか。Community & cooperativeであった。地域社会との関係を深め、仲間と共に新しい生活を歩みだす。ここで新しい人生が始まるのだ。私はクリスマスコンサートに私が行ってもいいのかと懸念を持っていたが、ここは地域の人に開放的であり地域とともにある。しかし、一般賃貸業のようなアパートの部屋が空いたから、年寄りを入れるという種類のものではない。この事業はシステムとして構築せねばならないのである。頂いた本にある「畑に種をまいて育てた西瓜、大きくなって冷やして食べた。皆のワーという歓声」喜びの声が聞こえてくるように思う。

 人は誰でも「存在価値がない」と本人が思うようになると破壊的行動をとったり、気を消沈させるという。他の人とのつながりをなくすと危険と教えられる。ここの事業は心の支えを持ち、「人間を作る」のだと西條代表の前向きの理念がある。有意義な事業の持続的発展を期待してやまない。                          松井義近

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2008年12月14日 (日)

根源の美を追求、ボリショイバレエ

Dsc01804 (晩秋の上野公園)

 経営に関するものはドラッカーや流通革命論も読んできた。しかし音楽や芸術は全く縁がなかった。今までとにかく働いてきたが、優れたものを生で聞きたい、見ておきたいと思うようになった。世界一という芸にも接しておきたいと思うが何時間も飛行機に乗っていくのは身体に無理を感ずる。心の豊かさはいつまでも求め続けられるし、生きがいになる。そんな気が頭のどこかにあったのだろう。ボリショイバレエを見にゆくことになった。基礎知識を少しでも持っていれば「白鳥の湖」ももっと奥深く楽しめたろうと思う。でも行ってよかったと思う。ちょっと見られない美しさであった。

 湖畔の夢幻的な白鳥、つま先で立ち細やかに足を動かす。腕はしなやかに動き、白鳥の舞うがごとく腕は上下に舞う。どこの王女役も白色で鮮やかなバレエは見る力も入ってしまう。能でいえばシテであろうオデット、鍛え抜かれた見事な舞、一つの動作も何十回何百回と繰り返し仕上げたのであろう、洗練されている。午前中たまたまバーレッスンを見る機会に恵まれた。体は体操選手と同じだ。基本的なことを繰り返し練習し、それを芸術的な域に持ってゆく努力、並大抵ではない。一人で踊っても、24人並んでも素晴らしい。この白鳥の舞からは感動が胸に迫る。

 時々「道化」役が出てきて一分の狂いもない舞の中に、場を和らげる「ゆらぎ」を与える。たまたまNHKプロフェショナルで「ボリショイバレエが誇る魂のダンサー岩田守弘」が放映された。岩田氏は38歳、この世界では肉体的限界といわれる歳である。ロシアの魂バレエの本場は閉ざされた世界、岩田には悔しさがこみ上げる。それを情熱で跳ね返し「第1ツリスト」となった。その間、体の弱みを強みに替え、なくてはならない存在になろうと励む。選び抜かれたダンサーになれば「のぼせあがるな」と叱咤がとぶ。初めて割り当てられた猿の役、みんな敬遠したが、心に残る猿の役をやってみせると決心し、リアルで心に残るたち振る舞いをやった。その後この白鳥の湖で道化をまかされる。父は世界一の道化になれと励ましてくれ、家族の支えに感謝している。

 流れは進む。どの白鳥がハンガリー王女か、ナポリ王女かはわからない。王子は好きなオデットを捜し歩く。白鳥と黒鳥のせめぎあいはストーリーをよく知らぬ私にとっても迫力を持って迫る。声を出して話す場は全くない。すべてパントマイムで、体で表現する。芸術とはこのようなものか。

 過酷な戦いの中で、自分の珠玉の美しさを発揮する。これが“生きる”ということなのだ。

                        松井義近

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2008年12月 7日 (日)

ミッドウェー海戦とビジョン

Dsc00869 (テレビ塔)

 草鹿龍之介元参謀長は太平洋戦争の大部分を、機動部隊あるいは連合艦隊の参謀長として、緒戦の真珠湾攻撃作戦から、戦況を決定的にしたレイテ沖海戦等を指導した。同氏が昭和27年に書かれた「連合艦隊」を読み直した。この海戦は昭和17年6月5日~6日に行われ日本が徹底的に負けた海戦である。戦争中から噂に聞き、戦後もいろいろの報道をその都度読んだり聞いたりしてきたものである。今回敗戦に学び反省の意味から再度読み直した。

 この戦いで上部から与えられた命令は「ミッドウェー島の攻略」と「出撃することのある敵艦隊を撃滅する」この二つであった。この作戦は行われる前から広く漏れていた。しかし開戦以来勝っていた日本は、上層部も一般も鎧袖一触のような驕った気持に満ちていた。いくらアリューシャンの方で陽動作戦をしてみても、それに惑わされず米軍は持てる力のすべてをかけて、日本が来るのを待ち構えていたのである。

 途中濃霧に巻き込まれ大編隊を動かす苦労が大変だったという。この苦労は味わった人でないと分からない。戦いが始まり日の出前第一陣が出発する。第一次の攻撃隊は陸上攻撃である。すぐに索敵を始める。敵の空母がどこかにいる筈であると。普段は扇形に二段索敵を行うが、その日に限って一段である。情報収集を最も重視していた草鹿氏が一段だけであった。魔が差すとはこのことか。しかも巡洋艦利根と筑摩からの索敵機は出発が30分おくれた。米軍の航空母艦はどこかにいるはずである。第二次攻撃隊はそれに備えて艦船攻撃用の爆弾を積んで待っていた。一次が出発後30分くらいあと敵飛行機の接触を受ける。味方偵察機からは何の音沙汰もない。そんな中で第一次攻撃隊から「第二次攻撃の要あり」の電信が入る。第二次攻撃隊をミッドウェー攻撃に振り向けるか。

 陸上攻撃用の整備は終わった。その時利根偵察機から「敵らしきもの10隻見ゆ、方位・・・」始めての報告が入る。0428(4時28分)。母艦に入ったのは0500。約30分の費消時間である。巡洋艦利根から発進した索敵機は天候不良のため往きに発見できず帰りに敵艦を発見した。母艦からは「艦種知らせ」。最も大切な情報である。「巡洋艦5、駆逐艦5」が返ってくる。航空母艦はいないようだ。0530頃、利根機より「敵はその後方に航空母艦らしきもの一隻を伴う0520」。米艦隊には航空母艦がいる。想像しなかったわけではないが司令部は愕然とする。さてどうするか。今、爆弾を積みかえたばかりである。このまま拙速だが飛行機を発艦する命令を下すか。

 正攻法を選び艦船攻撃に変更した。6時20分ごろ敵空母機の来襲が激しくなる。戦闘機の敢闘と対空砲火の威力、巧妙な操艦で危機を脱する。第二次攻撃隊の準備は完成する。「発艦始め」。第一機が飛びあがる。後5分すれば全機が発艦する。その時断雲の隙間から敵急降下爆撃機が一機二機三機まっしぐらに突っ込んできた。一弾二弾三弾と命中、全艦振動し艦上飛行機は燃え上がりその爆弾・魚雷が爆発する。運命を決する「五分間の遅速」であった。私はここまで来ると身がちじむ。航空母艦加賀、蒼竜は沈没、赤城は大破である。飛竜だけが健闘、敵を探し廻った。空母エンタープライズを撃沈させる。その後赤城も飛竜も炎上し処分する。

 戦後、第一次大戦後のドイツに与えた教訓から、日本は滅茶苦茶な罰金もなく平和国家として再生できた。すでに戦争を始めてしまったミッドウェー海戦後の時点においては、今後についてビジョンを変更し描かねばならない。

[情報兵器の研究と品質向上が急務]

 飛行機にレーダーがついておれば、過失の半分は補われていたといわれる。自他共に許していた駆逐艦等による夜戦についても、レーダーで米軍に先に発見され、艦船の半分以上をガタルカナル方面で失っている。また生産品は不良品の率が高すぎた。

[空母を中心とした艦隊編成に組みなおす]

 艦船の戦闘隊形も空母を中心に組まねばならない。敵信傍受は完備した設備を持つ戦艦大和が総合的にやるべきであった。高いマストもない航空母艦では対応できない。

[大艦製造をやめ空母と飛行機の生産に集中]

 大鑑巨砲主義をやめ、航空機の生産に集中する。

[戦線を限定し持久戦の覚悟を]

 矛先を敵の致命部に指向できない現状において、好むと好まざるとにかかわらず、持久戦の覚悟をしなければならない。いたずらに作戦構想の雄渾に惑わされてはならない。資源地域に活動を限定する。

[人材育成、当面と欠陥]

 急速に人材を補充せねばならない。前線の人に人材育成を担当させる。すでに現状で述べてきたとおり、真珠湾攻撃以来勝ってきた機動部隊が先陣に立てば大丈夫といううぬぼれ、驕慢に基づく油断があった。このような性格は我々国民の欠陥として指摘される。

                            松井義近

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