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2008年5月 4日 (日)

富岡製糸場と絹産業遺産群1

Dsc01275

(「まぶし」と繭)

 富岡製糸場等が世界遺産暫定リストに載ったことは聞いていた。自分の故郷であるから登録されればいいなと思っていたが最近は田舎に行く機会もめっきり減り、今回この遺産群に行き勉強する機会に恵まれた。朝早く新宿を出発して早々についたのが甘楽(カンラ)町の小幡(オバタ)である。この町には親戚があり、親の代理で年賀の挨拶に行ったことがある。行った先の家は大きい、大きいということは蚕を飼うための場所が大きいのであって、住む場所はその一部分である。このように家がだだっ広いのが養蚕地帯の農家である。蚕を飼う作業場が2階全体にあり蚕が大きくなると1階まで蚕が占める。小幡の町へ行き鮮明に覚えていたのは道の真ん中に堰があり奇麗な水が流れていることだった。この堰は家事にも使うが養蚕用の器具を洗うのにも使ったに相違ない。私の生家では鏑川まで行って洗っていた。

 ここに「甘楽社小幡組倉庫」がある。子供のころ郷土富岡の民謡ができた。「響くサイレン富岡製糸、糸の日本に最初の工場よ、競う甘楽社生糸で誇り、・・・」と歌っていた甘楽社の倉庫がここに残っていた。甘楽社の製糸工場は上信線富岡駅の北側にあり、協同組合の先駆的なものと言われていた。見学先の倉庫では案内のガイドさんはわざわざ“はきたて”(卵からかえったばかりの幼虫)の蚕を展示してくれ、みんな興味深々で喜んでくれた。昔、蚕のはきたての頃は温かい部屋を作って育てていたので、展示の蚕がかわいそうな気持であった。

 この土地は室町時代小幡氏が治めていた。江戸時代織田信長の次男信雄が二万石で移り七代続いたといわれる。途中で松平家に移ったとのこと。すぐとなりの町のことでも今まで知らなかった。この地の伝統ある養蚕農家も今は3軒しかやっていないとのこと。養蚕農家は輸入絹の安さに対抗できないし、他産業への転出が続いた。

 富岡市にある日本最初の官営製糸場・富岡製糸場へ行く。この工場は正面の門から東繭倉庫が見える。よく前を通り、中をのぞいていたが中に入ったことはない。今回初めてここから工場に入った。しかし初めて入った感覚はない。小学校の5年のころ、ここの工場長の息子がクラスにはいってきた。以後中学の初めまで一緒にキャッチボールをしていた。工場の北に専用の門があり大きな声で呼べば友達が潜り戸をあけて中に入れてくれる。広い場所でキャッチボールをして遊んでいたのである。しかし繰糸場の方には行ったことがない。今回初めて中の見学をすることができた。観光バスをどこで下すかと思っていたら少し離れた所にある上町(カミマチ)の通りである。バスの駐車場は別に作ってあるようだ。観光客が増えれば飲食店などすぐに売り上げが増えるであろうが、市も対応に忙しいと思う。

 この工場は明治5年10月に操業を始めた。文明開化・殖産興業で近代産業の育成を図ったことは分かる。しかし準備して操業を始めるまでずいぶん早い。ガイドさんがおおよそのことを話してくれる。世界の生糸の大輸出国である清国がアヘン戦争で生糸の輸出が激減した。ヨーロッパでは蚕の伝染病で蚕が死に、生糸も蚕種も極端に不足していた。そんな中で開港間もない日本の蚕糸類の需要が高まった。ところが当時それらの粗製や偽造あるいは良しからぬ商人の横行等目に余るものがあり、不信を買ってしまった。これは最近の餃子中毒事件を考えれば、早急の対応が必要であったことが分かる。品質の高い安心して買える生糸類を輸出せねばならない状態であり、富岡を選定し品質の高い生糸を作る工場を造ることとなった。

 造られた東の繭倉庫は長さが104.4m、幅12.3m、高さ14.8mある木骨レンガ造である。柱は30.3cm角の通し柱であるが、太い柱は妙義山の官林の木を切ったほか、中之条奥地の木を切り出し筏に組んで流して運んだとのことである。よくこれだけのものがあったと感心してしまう。そのほかレンガ、漆喰、屋根瓦、礎石等よくやったと思う。それにしてもなぜこんなに大きい倉庫が必要だったのか。当時明治の養蚕は年1回の春蚕(はるご)だけだったという。工場の操業には1年分の繭を買い入れねばならなかったのである。

 工女の募集にも苦労があった。フランス人が工女の生き血を取るというデマが飛び、なかなか応募する人がいなかったとのことである。近代的製糸技術を工女が覚え、全国に普及するために全国から集めた。特に士族の娘が多かった。繰糸工場は300台の釜があり、一人一台の仕事である。この人たちが各地に帰り指導的役目を果たした。官営製糸場の経営も官営~三井製糸~原製糸~片倉工業と推移し、20年前に操業を中止するころは一人で30台の器械を担当していたとのことである。この歴史を見ても操業開始当時の外部環境、困難を極めた開業の苦心、製品の品質管理、人材育成、労働生産性の問題、生産のグローバル化とあらゆる問題を考え実施せねばならない姿がここにもあった。

                          松井義近

Dsc01283(富岡製糸場正面)

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