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2008年4月13日 (日)

自然の「ゆらぎ」のこだわり

Dsc01256_2          (外孫からのチューリップ)

前週の最後に次のように書いた。扇風機の風も自然の風に近いものに「ゆらぎ」の快適性がある。・・個々の店は多様な生活・ライフスタイルの一つを選び生活テーマ別に専業化し、顧客は相互の間に「ゆらぎ」を感じ・・(略)であった。今回は最近の出来事をこの視点で眺めてみる。

長い間室内に置いた観音竹は葉の色が悪くなる。温かくなって鉢を外へ出してみると根が下から出ているではないか。随分経つので土を取り換えねばと思う。苦労して鉢から出したら根っこでいっぱい、土も見えない。観音竹鉢植えは植木にとって不自然である。もっと自然が感じられるように手をかけ、自然のゆらぎが感じられるように育てたい。

近くの幼稚園の先生が定年退職した。そして子供から元気をもらっていたと言われる。確かにそうだ。家は孫達と2世帯住宅で暮らしている。私たち夫婦が友達と会って話をするとき、自然に「おじいちゃん」「おばあちゃん」といっている。友達は「あなた」「私」である。もう少し若い時は流石におばあちゃんと言われると抵抗を感じた家内も、最近は「家は何でも孫が中心の生活をしている」と主張する。世代間にはそれぞれにない固有のものがある。そこには理くつでない自然に近い快適性がある。

4月10日の日経朝刊にセブン&アイ・ホールディングス傘下のデニーズの記事が出ていた。2割強にあたる約130店を閉鎖する方針だという。デニーズについては関心をもって見ていた。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありと平家物語に出ていたが、諸行:全てのもの、無常:常なしで移り変わる、と教えられてきた。一般に腹が減ったら食べる店が多い。このタイプの店は競争が激しく売上げが減少しがちであることは折に触れて述べてきた。一般論であるがファミリーレストランも最初は自分の家より楽しくって料理もおいしい店であった。最近は行っても楽しさを感ずる店ではない。店内・味・サービスに大きく資金を掛けなくても、何か違った「ゆらぎ」を作り変化のある所にすれば、そこには快さがでると思う。

日経4月9日朝刊「やさしい経済学―21世紀と文明」奥野卓司氏記事を読んだ。「パソコン、携帯電話自体は工業製品だから、それが行き渡ったというだけでは工業社会の延長にすぎない。」という。まさに我が意を得たりである。最後の方に「過剰な生産が社会的意味を喪失した時に、その社会は必ず情報社会と化す」とある。金がすべての社会は行きづまると思う。物も機能から生活等の機能を売ることが大切であり、さらに生活や心が豊かになるもの「文化」的なものへと進みたい。私たちが住む社会は、小さくとも意味ある存在として働き、自然の摂理に従った文化の香りのするコミュニティ(協働体)にこそ意味がある。

                   松井義近

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