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2008年4月 6日 (日)

桜と「ゆらぎ」

Dsc01249  (三島大社)

今年の桜は何時もより少し早めに咲きだした。近くの小学校の桜も3月末には開花した。孫の一人は既に中学生、それでも小学校入学のとき桜が咲いていた思い出があるようだ。今年の入学生も入学式まで桜の花が咲いているといいと言う。楽しい思い出は他の人にも味わってほしいと思うようだ。私の時も小学校入学のときは桜が咲いていた。2本の桜の木の間を歩いて教室に行ったことを覚えている。その木は今は校舎の新築で無くなっている。中学に入ったときの校庭の桜は一層素晴らしかった。こんな桜の花を見ながら、新学期に心を新たにしながら励んで来た。

 日本人は桜の花が好きなようである。数年前も京都御所一般公開の見学をかねて吉野山の桜を見に行った。10日過ぎだから少し遅いなと思いながらも、吉野山は奥もあり、下の方までそれぞれ千本桜があると聞くから、下が駄目なら上があるだろうと勝手に思って行った。しかし花は全て散った後だった。その後高遠の桜を見に行った時も、花が咲いていた後の香だけは残っていたが花はなかった。満開の桜には巡り合わず、桜の見物は近くで楽しむだけかと諦めていた。

 今年は伊豆半島の桜を見に行った。たまたま伊豆高原の3キロ続く桜のトンネルは満開であった。松崎の桜並木1,500本も満開である。塩ずけ桜葉はシェア70%で日本一と資料にのっている。川の堤に咲き誇るこの桜の利用なのかと思う。最後の圧巻は三島大社である。参道の桜、池に垂れ下がる枝垂れ桜は見応えがある。冬の寒さをしのぎ、温かくなるや一挙に咲き誇る何十本・何百本・何千本の桜、一個の花でなく一斉に咲く全体の美しさは見事な景観である。

 一方桜は、散り際の美しさが日本人に愛されるという。これが前の戦争中の特攻隊の人の心にあった。若くして国の守りのために逝った先輩や仲間たち、今思えば「もったいない」考えである。戦争中「桜に錨」の帽子の徽章、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」で突っ込んだ人たちへの思いはいつも胸にある。戦後あの人たちがおればやるべきことは沢山あった。

話は移るが、もう十数年前フラクタル理論に興味を持った。自然現象は自己相似的であるという。今でも詳しいことは学んでいないが、フラクタルの概念は、1970年代中ごろブノワ・マンデルブロによって命名された幾何学的概念である。この自己相似的なものの中に「ゆらぎ」現象が広範に存在する。いわゆるフラクタルな現象であるという。扇風機の風も自然の風に近いものに「ゆらぎ」の快適性がある。生活や仕事の考えも、とにかく働いて働いて頑張ろうとやってきた日本、何でも皆一緒、同じようにやる考えが浸透した時代である。物質的豊かさが目について「ゆとり」という考えが出た。今は一律的「ゆとり」から生活や仕事の中に快感を味わう「ゆらぎ」の概念を取り入れたい。それぞれが自分のライフスタイルを持つ時代である。商業活動も広くグローバルに目を開き、一律的やり方から多様な業態作りに進むことが大切だと思う。個々の店は多様な生活・ライフスタイルの一つを選び、生活テーマ別に専業化し、顧客は相互の間に「ゆらぎ」を感じ、それを集合化(ショッピングセンター、商店街)すれば人が集まり、繁栄型集合業態になると考えている。         松井義近

      (参照:非線形科学 蔵本由紀著)

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