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2007年11月25日 (日)

五輪に行けるか、サッカーの応援

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TVではサッカーを見るが、プロのJリーグができてから競技場へ行ったことはなかった。大きな旗を振って応援する場面をよく見た。今回早めに行って見ていると、大声援は東西の横で頑張っている。大きな旗を振りながらウワオ・ウワオ・ウワオ!の大声援である。あの震えるような独特の雰囲気はTVでは味わえない。

 だからファンは福岡からも来る。私の隣の席には中年の男性が来て座っていた。後から聞くと、今朝早く福岡から来たという。朝一番の飛行機なら安い料金で来ることができる。早く東京に着いてしまうので放送局巡りをして、それから国立競技場に来た。すごいサッカーファンだ。

 試合は型どおりの儀式が終わり、競技が始まる。開始して間もなくサウジに攻め込まれる。キーパーが外され近距離からシュート。青山敏が体で防いだ。負けたらオリンピックに行けなくなる。よく防いでくれたとホッとする。日本も攻め込む。絶対的機会だ。ワアーと期待する歓声。バーのすぐ横にそれる。みんなのワアーが低音に変わる。一点を取ることが選手もファンも共に狙う総意である。この熱意が「うなり」になってどよめく。よくリズムに乗るという。自分たちのペースで進められることか。一般的にいえば調子に乗れることだろうと思う。絶対五輪に行くのだと全員が立ち向かっている。なにかのきっかけさえあれば勢いに乗れるはずだ。しかし逆に攻め込まれる。4万人の人が冷汗をかく。

 よく見ていると金髪に染めた選手の活躍が目につく。日本のサッカー選手も子供のころからサッカーボールをけり遊んでいる。その分厚くなった新時代のサッカー族がもう19歳。まん中辺で動くMFの柏木選手である。よくボールを拾い、しつっこくつないでいる。見事な動きだ。福岡のファンもサッカーが好きで好きでたまらないようだ。一緒に行った私の孫にサッカーのことを教えている。立派に活躍している人をよく見て、僕もあの人のようにやるのだと動きを覚え、その活躍どうりにやれるようにする。そうすればうまい人のようになると。私が中小企業に行って話している「目標デザイン」と同じことを言っている。目標をキチンと描き出して進めば、結果は目標の姿になると。人がやることなのだから同じなのだろうと納得する。福岡のファンはビールが好きだ。孫に懐炉を貸してくれたりしていたが、最後はスッカリ眠っていた。

 サッカーはドローの引き分け、一点も入らなかった。それでも北京のオリンピックに行ける。審判の終了の笛、よく耐えてくれたと大観衆が総立ちで喜んだ。最後は寒さも忘れていたようだ。帰りのJR信濃町駅、孫の切符は買っておいたが、何と切符の自動販売機の前は空いているところもある。あの大観衆がスムーズに電車に乗っている。変わったものだ。多くの人が「スイカ」でスムーズに入っている。

                             松井義近

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2007年11月18日 (日)

「こめこめクラブ」収穫祭

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先日「こめこめクラブ」の収穫祭へ行ってきた。初めての参加である。早めに行ったが、会場の「クラジャ」の中は大勢の人たちの和やかな顔で一杯である。中学や小学校の先生方、学校のペアレンツ、公民館の方に民生委員、町内会の方と地域の人たちが集まった。今日も有志の方々の奉仕で準備が進められている。この中で中心になって準備を進めているのが4人いるようだ。

 会が始まる。会長は4人の中の一人西貝氏のお父さんである。挨拶と、この会が始まったころの話を紹介してくれた。学校の児童・生徒さんたちに、本の勉強の上に、土に親しみ米作りの体験をしてもらおうと思ったが、話はなかなか進まない。総合学習が始まる前である。そんな中で小学校の校長先生がOKをしてくれた。大きな決断だったようだ。始めてみるとこの田圃をどうやって掘り返すのだということ。そこで手を差し伸べてくれたのが農業の専門家の長谷川氏である。耕運機を持ってきてやってくれた。さて収穫をしたが来年の種もみ、肥料、若干でも地代等工面できず赤字だったと初めて明かす。男3人の中心のもう一人が川村氏である。とにかく率先して動き実行力のすごい人だ。気の合った男3人のほかに女性がいる。今回の会合の後半の司会は原さんである。昔からのメンバーだから築いてきた一人ひとりをよく知り、紹介しながらこれまでの苦労話をまとめてくれた。田んぼに入って手伝ってくれた生徒の母親は「田んぼの中の脚の感じがなんとも言えない経験だった」と言われる。一般的には団地住まいの方が多くなってゆく。歩く道も舗装道路、足の感覚が新鮮だったのだなと思った。私のそばにいた先生はビールを勧めると、車で来ていますと言われる。収穫祭の席なのになあと思ったが勧めるのをやめた。実際はクラブ活動のスポーツで試合に勝つまで好きな酒を断っているようである。生徒を育てる先生にも気合が入っている。是非笑顔で美酒を飲んでほしいと思う。

地域を活性化するには、付加価値を作り出さねばならない。これを作るのは人が中心で、地域の横の連携が大切である。この会合に出て、これからの社会に必要な姿を考え、この「こめこめクラブ」はあるべき形の一つのモデルとなるのではないかと思いつつ帰ってきた。

 かつての強制と束縛の田舎社会から、開放的な都市社会となったが、アメリカ等における大都市では怖くて夜は歩けない。建設的なコミュニティがないと人びとは精神的に歪んてしまう。このモノや金中心の工業社会から、今は、目に見えない情報、人の心を中心にしたサービス化経済に移っている。ドラッカーは「かつて日本の大企業に人間中心の安定した社会づくりを期待した」。営利目的の企業は社会的責任(CSR)もあるが、最終的には必要な利益を確保せねばならない。答えはボランティア活動にむかう。今われわれ考えねばならないことは、新しいコミュニティを創造することである。新コミュニティは

 1.サービスの精神を大切にして、目的に向かって活動する、地域密着の協働体。

 2.場の中で自分の特質を生かし伸ばせる。

 3.人びとは安心して、心豊かに暮らす、情報と文化向上の場。

このようなコミュニティと考える。収穫祭に参加して間もなく米作り実習の田んぼを見に行った。歩いて行ける距離だが、そこは自然に恵まれた場所であった。

                        松井義近

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2007年11月11日 (日)

“おやき”はおいしいが・・

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子供のころ私の田舎では“やきもち”を焼いてくれた。中は味噌をこね合わせただけの味である。竈の上に大きなフライパンを載せ、この上でこねた“やきもち”を焼く。表裏を焼いてから竈の中に入れ灰をかけて蒸して柔らかくしていた。炭酸か磯辺鉱泉を入れていたようだ。おやつに食べてもそう美味いと思わなかったが、腹が空いていたからよく食べた。

 家内が軽井沢へ行って買ってきたのが“おやき”である。期待しないで食べたら結構おいしい。中の餡には野沢菜が入っていて、これがおいしい。また、先日白馬三山の見える八方尾根へ行った。帰り道「兎平」の駅で買ったのがこの野沢菜入りの“おやき”であった。二人だけでゴンドラに乗って中で食べてきた。よく売れるようである。餡は野沢菜以外にも色々ある。主体は長野県かと思っていたら、神奈川県の北西部でも作って売っている。今や長野県を中心とした郷土資源の名産品と言えるかもしれない。けれど大量に作って産業化している話は聞かない。今は都会生まれの人にも郷の素朴な味が好まれているようだ。

 地方にはおいしいものが結構ある。金沢に出張したときは新幹線を米原で乗り換えて、北陸本線の特急の中で必ず食べたものが「ますの押しずし」であった。これについては以前触れている。孫が長崎へ修学旅行に行って買ってきたのが「角煮まんじゅう」である。初めて食べたがいい味だ。中華では味の優れたものが多い。田舎ではないが大阪の「豚まん」は単品の商売だがいつもよく売れている。これは「中食(ナカショク)」にも適しているのだろうと思う。

 ところで最近食べ物で新聞・TVを賑わしているのが食品偽装問題である。夏休みの末に北海道に行ったが「白い恋人」は全て店頭から消えていた。賞味期限改ざんである。製造元である石屋製菓株式会社は従業員200名、澱粉加工業から始まり、菓子へと転身した会社である。「白い恋人」は1976年製造を開始し、お土産品として人気を博し、年商92億のうち75%がこの白い恋人の売り上げであるという。非常に残念に思っているうちに土産物第1位の三重県の赤福が賞味期限きれの再使用で新聞・TVに出てきた。甘いものが好きな私などは名古屋に出張すれば買って来たものである。これが1973年からと報道されるやまたビックリである。更に出てきたのが挽き肉混入のミート事件である。牛100%と表示したものに豚肉などを混入して売っていた。船場吉兆、御福餅、比内鶏と書いたら一体どういうことになっているのと考えさせられ、信頼できない憤りとなる。

 よくあることは、企業が大きくなってゆくと、お客様の有難さを忘れ、お客様が来てくれて当たり前になってしまう。感謝の気持ちを無くすばかりか、社会に対する責任分担の意識をなくし、儲かりさえすれば何をしてもいいという意識になってしまっているのではないか。ワンマン経営もやりようだが、社員の能力を引き出すことをしない経営、働きがいのない経営は内部的にも問題を起こす可能性はある。        松井義近

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2007年11月 4日 (日)

晴れを待つ人びと

松井義近Dsc01000

結婚して間もなく二人で登った山が白馬三山の縦走であった。だからというわけではないが白馬岳を見にゆくことがある。平成14年、家内の勤めが終わって見に行ったのが栂池高原の自然園の高山植物であった。今年は紅葉狩りに八方尾根三段紅葉を見に行った。

紅葉の美しかったのは「シェラリゾート白馬」であった。パンフレットに「“日本にこんなに自然と調和したホテルはみたことがない”と言われるのがシェラにとっては何よりのほめ言葉です。」とパンフに書いてある。着いてエントランスを入ると焚き火が燃えている暖炉がある。昔昭和30年代の末、札幌の郊外の温泉に行ったとき、部屋のストーブに薪をくべてゴーゴーという音とともに温まった感じが忘れられない。私ばかりと思っていたら同行した人もとてもいい感じだとのべていた。いまは焚き火もできない。環境に良くないガスが発生することはよく分かる。けれど今でも地方では竃でご飯を炊く家がある。この方が自然の行為に近い形であると思う。理屈でわかっていても、「焚き火の癒し」について心に不満が残った。

夕食はフランス料理のシェフの作った料理に満足しながら、同席のご夫婦と話がはずむ。ゆっくり入った仮設の温泉、温泉自身に見栄えはしないが、温泉から冷えた空気に顔だけ出して外を眺めていると、自然の森のライトアップ、しんしんとしたなかで体だけが温まっていった。

さて、朝飯を食べてホテルの周りの紅葉を見て回る。紅葉の色も赤・黄色にさえて見ごろであった。所どころ白樺の木が見られ、朝の空気と共に清々しく、まさに時間の止まるホテルであった。

今回のメインである八方尾根ゴンドララインで第1ケルンまで行く。八方駅からゴンドラリフト「アダム」に乗って兎平まで、上から眺めた紅葉は珍しい。下に眺める景色はどうなのだろうと期待していた。たまたま霧が立ち込めていて視界が狭く、下に見える変わる紅葉をたのしんだ。紅葉は此処までであった。アルペンクワッドリフトで黒菱平、さらに八方池山荘の第1ケルンへ。付近はガスで何も見えない。山荘付近の散歩道を歩き、時々変わる山の様子を、期待しながらガスの晴れるのを待つ。山の天気はいっぺんに変わり時々雪のある白馬三山の姿を見せる。ガスで周りがえないような状態は山に限らない。社会の中でも同様なことを感ずる。でもあきらめずに待てば快く晴れる時もある。これが世の中だ。

個人的には体のあちこちが痛む。体が行ける間に行こうと参加し上ってきた。今お手伝いしている中小企業もずいぶん経営の苦しみを感じていることかとふと思う。やれることはやって、明日に向かっての喜びを持ちたいと思う。          松井義近                                                        

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