地域に生きる自然
藤沢市では毎年夏に花火大会がある。私も過去2回見たが、最近はあまり見ていない。帰りの電車が心配でなかなか行く気になれなかった。今年広報を見ていると協賛金を出すと席を確保することができることが分かった。当日は、それにしても早く行かないとこむからと心配し早めに席に着く。まだ明るい。周りを眺めたり、江の島を見たりして過ごす。そろそろ薄暗くなって花火が始まるかと思っていると、伊豆半島の上に今沈もうとしている夕日が見える。なんときれいなことか。今までも見てきたはずだが、こんなにきれいだと思わなかった。夕日の美しさは宍道湖やあるいはインドネシアのバリ島等各地で美しさを競っている。しかし伊豆の山々に沈む夕日は海を隔てて輝き、沈んでゆく。身近なことは近すぎて、却って気付かないということか。灯台下暗しである。夕日に見とれて感じていると花火が始まり、夏の夜空を満喫した。
土地に住んでいると、地元の良さを感じないでいることが多い。先日「わが住む里」56号(藤沢市総合市民図書館)を番場定孝先生から頂いた。先生寄稿の「幻の鵠沼蘭は生きていた」が載っている。内容をそのまま見ると、「かつて相模湾の長い海岸線は平坦な砂丘がどこまでも続き、鵠沼辻堂を中心とした砂丘と、内陸まで広がる松林は、文字通り名勝湘南の白砂青松と人々の憧憬の地であった。」このような中で先生の県議会への提案があった。「かつての湘南海岸には多くの原生植物がありました。特にハマボウフウ、松露は有名で、今日ではその天然の味覚を全く窺い知ることはできません。地名がそのまま名称になっている鵠沼蘭はその本家本元でも一草たりと見ることができません。」と。「この提案は砂防林や砂丘にかつての原生植物を復活させ、人々の散策と憩いの場所を創ったらどうかというものであった。」
県会議員であった先生は選挙の半年前には後援会用のパンフレットを作る。これに鵠沼蘭を載せれば何か反応があるかもしれないし、環境問題の象徴になると掲載した。選挙も終わって直後『うちにパンフレットと同じ欄があります。毎年4月中旬すぎに白い花をつけます。松露も一緒にあります。』との電話が入った。JRの北の庭園で、松と松の間の雑草地の中に、ここに1本そちらに1本と白い花が見えるではないか。かつての砂丘の名残ではないかと思われた。このような発見は大きな感激を与える。「自然が教える湘南の原点を知ることは大切だ。鵠沼蘭にその象徴として今後もずっと生き続けることを願ってやみません。」憧憬の的の湘南の自然を物語る生きる鵠沼蘭、美しい自然を緑を残したい気持ちである。
先生の言葉を勝手に短くしたことをお許しください。この“幻の鵠沼蘭見つかる”は夢が現実になったような美しい話である。夕日以上の感激を覚える。
松井義近
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)







最近のコメント