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2007年9月30日 (日)

旧海軍の生き字引、人を導く

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 東海道線の下りに乗る。昼過ぎの時間は空いていてすぐに座れた。向かい側では私より歳の上の方が一人本を読んでいた。よく本を読めるな、目もいい人かなどと思っていると、相手が顔をあげてこちらを見る。なんと市来分隊監事ではないか。家内と二人で挨拶をして隣に座る。海軍の歴史を深く研究されていたことは知っていたが、最近は分隊監事より上の人は殆ど亡くなられたという。それはそうだ89歳になられている。海軍のことで調べたいことがある人からよく問い合わせが来るという。貴重な存在である。その分隊監事は我々一人ひとりのこともよく知っていて、経営コンサルタントは今も忙しいかなどと聞かれる。正に親父であり兄貴である。ドラッカーの話など、その一言でそうだしっかりやろうと思うこともあった。しかし齢は89歳、耳は少し遠くなってきたが、我々以上に元気でおられる。今日もこれからイ206分隊会に行かれるのである。

 太平洋戦争では実戦に従事、ガダルカナル方面に出撃した艦艇は飛行機に攻撃され、被弾し、漸く基地に戻った。一度被弾した艦は再度攻撃されるので、対空機関砲等の要員を除き全員退艦した。残った指揮官は市来大尉であり、死を覚悟した。しかし敵飛行機は来なかった。(イ206,208合同会の講話よる)。その後であろう、私たち兵学校に着任、イ206分隊監事として私たちの分隊を担当されたのである。

 私たち分隊会の行事は高齢化により一時中断した。しかし分隊監事がお元気であるということで復活した。この分隊という組織は艦艇の分隊と同じで、戦うための組織である。入校時のスピード体得は起床動作から始まる。1号生徒の号令で全員が130秒でできるまで続いた。どのようにしてやればよいか、細かく教えてくれたのは対番になっている2号生徒であった。

 今回の分隊会も市来監事のお話から始まった。数少なくなった73期(13年生)と74期(22年生)の方もおられ、顔は昔の分隊訓育である。話の中心は52期で、今年103歳で亡くなった佃定雄氏の話である。佃氏と高松宮殿下の話は省略するが、高松宮殿下の無二の親友であるという。殿下の赤痢事件で詰め腹を切らされ、人生最初の戦いに挑んだ。東北帝大物理学科全課程の履修である。佃氏は音響工学を専攻し(S6~11年)水中測定兵器の専門家であった。私はこのブログの2006.12.09「終戦」の記事で、終戦時の生徒隊監事の訓示を書いた。その中で戦争に負けた原因の一つに兵器があり、電波探知機、水中測定兵器、飛行機、原子爆弾をあげられた。水中測定兵器で「造船・電機等連絡悪く、自分さえよければ可という考えである。・・・多数の船を失った」と当時の控え通りに述べたが、このような専門家が連携不良で結果を出せず随分悔しい思いをしたであろうと思う。

 分隊が縦組織なら普段の勉強は同期で作られる教班という横組織である。死ぬまで続く「貴様と俺とは同期の桜」の交わりである。終戦になり大学で学び、多くの分野で仕事を続けた時代から、現在は殆どが現役を引退している。結果的に同期の交わりが濃くなったように思う。何でも言える仲間である。夕食の最後の話題はこれから直面するであろう「痴呆症」の話になった。治療法が進んでいないだけに深刻である。昔のように「ボケ」も簡単明瞭だが「恍惚の人」の方が感じがいいのではないかという意見で一同笑う。知人にも痴呆症の人がいて現実を知るだけに深刻な問題である。ボケないよう私はブログを続ける。

                       松井義近

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2007年9月23日 (日)

変わらなきゃ生き残れない

005  TV東京の917日(月)放送の「カンブリア宮殿」にローソン社長の新浪剛史氏が登場した。カンブリア紀は地球上で生物が進化を求めて大爆発をした時代といわれる。新浪社長はコンビニ業界第2位のローソンに43歳の若さで抜擢されて再建に取り組んでいる方である。

 コンビニには「開いててよかった」を看板に24時間営業を始めたときから関心があった。夜蛍光灯が切れたとき、従来買っていた電気店に行こうと思って時計を見ると、すでにしまっている時間である。今晩はこのまま不便をしのぐかと思っていると、家内が「コンビニにあるんじゃない」という。近所のコンビニにいくとあるではないか。買う頻度の高い商品はきちんと調べて在庫しているのである。商売の形態は昔の万屋であるが、管理が最も近代化した業態を作ってきた。

 しかしセブンイレブン、ローソン、ファミリーマート以下しのぎを削っている。新サービスとしてATM,宅配便、デジカメの写真プリント等行ってきたが、おかげで私などもコピーに、「くろねこメール便」にと便利している。日曜日でも夜でもやってくれる便利さはありがたい。さらに生鮮品を考えたり、おでんを店頭に置き立ち上る湯気で温かさを演出したりしたが、コンビニの数は増え過当競争に陥ってきた。どこかが淘汰されることになる。同業だけではない。ドラッグストアも飲食品を目玉にしている。

 人口が減ることはハッキリしている。これは予測可能な外部条件である。地域は地域で自分たちの文化を大切にし、特色を出して来ている。その上に標準化した商品構成で各店が商品を並べても、似た店の在庫ではお客に合わなくなっている。また同じ年代でも自分の好みを大切にする時代である。好みに合わなければ買ってくれない。これにどう対応するのか。しかも生産性を落とさずにやらねばならない。

 日高義樹氏のワシントンリポートを見ることは多い。今月は米海軍特殊部隊の新型原子力潜水艦の搭乗報告であった。潜水艦は一度潜ったら海面には浮上しない。どこにいるのかは見えない。この特質を利用して変わった世界情勢に対応せねばならない。

 太平洋戦争の前までは大鑑巨砲主義であった。大きな戦艦大和や武蔵を作り、これで日本を守る戦略である。しかし戦いの主力は飛行機に変わっていた。今はミサイルの恐怖にさらされている。大部隊を動かす時代は過ぎた。テロの独裁者を隠密に行動して攻撃できるように考える戦いになったということである。

 そのための潜水艦には海軍特殊部隊「シールズ」が乗り込んでいる。陸戦隊ではない。シールズは60名で編成され海中で船から外に出て攻撃に向かう構造である。米海軍の中でも最精鋭であるといっている。訓練された最強の兵士を上陸させ作戦を展開できるのである。大切な作戦の遂行には海軍大佐が艦長になる。これは大部隊の司令官と同じである。このような軍事機密のような潜水艦にTVが入る。世界に向かって発信される。報道されることによる抑止力を狙っていることになる。戦争の形が変われば速やかにこれに対応する。コンビニだけではない。国も「変わらなきゃ生き残れない」のである。 松井義近

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2007年9月15日 (土)

どう戦うか・・集中・密度を上げる

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中小企業は以前資金の問題が大きかった。今でもその問題はあるが、昔ほど大きな問題ではない。必要なことは、売上を上げる、人材を養成することが重点となる。中小企業診断士に要請されることもこれを頭においてそれに応えることを真剣に考えねばならない。

顧客に応える信頼性を築くために、人間性と必要な技術を高めねばならないと思う。

 たまたま先日の日曜日(99日)TV朝日で秋のドラマ特別企画「生きる」を放映していた。昔の志村喬主演の映画は見ていない。今回のTVの主演は松本幸四郎である。主人公は市民課長の渡辺勘治で変わらない。判子を押すだけの日々が30年も続いた。ところが末期ガンであることを知らされる。市民課には市民のグループがゴミ捨て場のような汚水溜めを何とかしてくれと陳情に来ている。渡辺課長は残された数か月の人生をどう生きるか。たまたま知り合った人と遊びに行き、夜の歓楽街を体験したが気は晴れない。30年間働いてきたけれど息子たち夫婦も何も理解してくれない。

 そんな煩悶の中で、最近まで部下であったが現在おもちゃを作って働いている女性と話をする。「課長さんも何か作ってみたら」。なにか光がさしたのであろう、人生を考えなおした。埋め立ての陳情書を引っ張り出して公園課・土木課など関係先を回りだした。結果、渡辺課長は完成した公園でひとり寂しく死んでいった。これから先はお通夜の席での回想場面であるが長くなる。渡辺課長は「命短し恋せよ乙女・・・」を歌いながら公園で死んだが、残された人生を精一杯燃焼していき、充実した人生を送ったのである。彼には死を目前にして「やるべき仕事」をやり、やり遂げた笑顔があった。

 私たちにもやりかけた仕事がある。中小企業の診断支援に生きてきた。たとえば企業が売れない売れないという。そこで商品別の売上げを調べ期間比較してみると全部が売れないのではないことが分かる。全体では売上げが下がっていても前年より伸びているものがあるのだ。その商品と顧客との関係を調べねばならない。これは分析的な「要素還元型統一」である。一方、フラクタル理論で自然現象を組みたてる「形体的統一」もある。(H17.12.24記事参照)これを数式に置き換えることもできるようだ。

式は Z⇔Z+C である。販売関係では次の仮設で進めている。           顧客満足⇔サービスの積み重ね+商品 

 いずれの科学も結果的にはストロングスを探し、そこに集中することになる。自分たちのストロングスを探す。また対象企業のストロングスを探すのである。さらに、これを顧客や社員にアピールするメッセージは過去の分析でなく、市場等の洞察から生まれる。一点突破のパワーである。集中したらその密度を上げねばならない。同じ時間の中で質を高める。一般的には頭を使う。計画的に進めムダをなくす。どうしても嫌なら他人よりも時間を余計に働くしかない。後一歩の努力である。このようにして「サービスの積み重ね」ができる。

 結果は毎日チェック・検討しないと密度は下がる。以下は毎晩繰り返した海軍兵学校の五省である。

  五省

 一、至誠に悖るなかりしか

 一、言行に恥づるなかりしか

 一、気力にくるなかりしか

 一、努力に憾みなかりしか

 一、無精に亘るなかりしか

                           松井義近

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2007年9月 9日 (日)

サービス・ホスピタリティ

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新幹線に乗ることは多いが、何時も普通車指定席である。席だけは確保し座ってゆくことが前提である。最近シニア対象の団体旅行で新幹線グリーン席で行くことがある。道南の旅もこれであった。昼飯の時間が遅くなるということで、サンドイッチを買って乗り込む。途中でこれを食べ終わる頃、車内販売の人が来る。早速コーヒーを頼む。お金を払うために「いくら?」ときく。「サービスです」という答え。財布を出して相手の顔を見ると「サービスですからタダです」という。ありがたく頂戴した。しかし私の頭には引っかかるものがあった。戦後米軍が日本に進駐した。兵隊に聞く。「あなた方は何をしているのか」と。彼はいう「ミリタリーサービス」をしていると。軍隊勤務をしているのだ。サービスは本来勤務・仕事を言っている。街のなかを見ても、「建設サービス」とか「運送サービス」といった看板はよく目に入る。これも業務であり仕事である。一方、「サービスしてくれ」と言えば値段を下げてくれということで通じるから、サービスという言葉で無料で提供することが間違えとはいえない。サービスという言葉の中で業務・仕事という意味と一部に値段の問題があり混乱をしている。

 函館山から見る夜景は日本三大夜景の一つといわれるだけあって素晴らしい。青函連絡船であった洞爺丸の明かりまで明るく輝いている。洞爺丸と言えば海難事故のことも頭によぎるが昔の話である。企業も一般もみんなが夜景の美しさに協力しているから美しいのだと影の努力の力を思うのだ。観光客の多く泊まるホテルフロントで、翌朝パンフレットを集めたり観光のことを聞いてみた。観光案内は何もない。函館市役所や観光協会を中心にした観光事業のことは市のホームページで見てくれという。私たちはフロントの仕事をしているだけですということか。狭く考えればそれでいいのかもしれない。しかし関連するサービスを行うことにより函館を訪れるお客の満足が図れるはずである。夜の明かりの前に函館の人々の心がある。ハードの前にソフトがある。観光事業もますます輝きを増すことになるし、もちろん本人の向上にもプラスになると思う。

 家に帰ってきたら、ザ・ウインザーホテルスインターナショナル社長窪山哲雄氏の新聞記事が載っていた。(日経07.8.31夕刊) この中に21世紀はサービスから「もてなし」の時代になるといわれ、ホスピタリティの時代になるという。このために必要な観光のキーワードは「知」と「文化」であると。現在の「知」には昔は「智」が使われていた。智慧・創造性である。知性と言えば、「世の中をよく知り社会的教養があり、恥を知る」といわれ、恥を知るは武士道の精神でもある。文化は難しいが、少なくとも地域の生活向上に資する伝統的なものや、特に心を豊かにするものが多いように思う。日本人には恥を知る精神と共にもてなしの心を持っているといわれてきた。ある飲食店の社長は社員のサービスがよくないといわれたが、良くするにはどうするか。お客様は自分が招待した客だと思って接客してほしいという。家庭で自分が招待した客にどう対応しているか。まさにピタリである。

 札幌へ行く前の晩である。一緒に行った家内が孫娘に会えるとニコニコしている。当日は単線運転のため列車が遅れ迷惑をかけてしまったが、大学院にいる孫が駅まで迎えてくれた。3人で急いで歩いて、まず「少年よ大志を抱け」で有名な札幌農学校創立者クラーク氏像、ついでポプラ並木である。家内は唱歌をすぐに歌う。「高い空につっ立つポプラ、夕日に燃えて枝々の、金の木の葉がきらきらと、嬉しそうにふるえてる」(井上赳詩)。ここへは前に来たことがあるが、今回歩いてこんなに広いとは思っていなかった。広々とした風景もその歌も心に訴えるものがある。クラーク氏、薫陶を受けた新渡戸教授、ポプラ並木の姿等が土地・学校の文化になっているのであろう。

                              松井義近

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2007年9月 2日 (日)

道南の旅

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 百貨店などでしばしば北海道展の催事が行われる。結果はいつも良い方と聞く。これは顧客が期待する何か良いイメージがあるようだ。仕事で北海道へ行ったことは多い。毎月継続して行ったから、回数は多い。ほとんどが飛行機であるが、最初は列車で往復することもあった。たまたま函館から連絡船に乗った。ドラの音が鳴り、甲板を見ていると、テープを渡し、陸の女性と船の彼氏がお互いにテープを持って別れを惜しんでいた。私はこの姿にひかれしばらく見とれていた。ほかの連絡船では見かけない姿であった。

北海道への観光旅行は6年前からである。目当ての場所となったのは、「まりも」のある阿寒湖であり、知床旅情の知床であり、開放感のある富良野であった。北海道イメージはさわやかでのびのびしたものがあるのだろう。今回の旅行は洞爺湖温泉であり、豪華船といわれたフエリーの船旅であったが、ザ・ウインザーホテル洞爺は来年のサミット開催で特に有名になった。さわやかでクリーンなイメージで、行ってから見て味わってビックリしたのが京極町の「ふきだし公園」である。羊蹄山の麓の湧水であり、富士山麓の忍野八海や三島と同じ形である。紙コップで飲んだこの水がまたうまい。暑い中を白馬に登り、大雪渓の脇の冷たい水を飲んだ時のうまさを思わず思い出した。

函館近辺と札幌~小樽~洞爺湖~苫小牧とバスで回る中で、ベテランのガイドさんは広々とした北海道の畑を何度か強調する。さらに短い夏の気候、豊かな土地、花もいっぺんに咲いている。今はあじさい、ひまわり、コスモスとみんな一緒に見られた。一方「ななかまど」の葉は一部紅葉している。そのようなことでトウモロコシもジャガイモもうまいのか。ガイドさんは北海道に来て住みませんかと頻りにいう。ただし雪おろしは大変な作業ですという。

北海道は多くの魚がとれ昆布などもとれることはよく知られている。函館の街から大沼公園に向かうバスの程よい中間に昆布館がある。入ると昆布の説明やその歴史など「昆布の博物館」があって、次に商品陳列がある。地元でできたものを地元の人々が売るコミュニティマーケットである。さらに実演場(昆布ファクトリー)でおぼろ昆布の製造されるところを観て味わえるようになっている。かつて長崎県の旧オランダ村がオープンしたとき、レジャー施設としては物品販売が多いのでビックリしたことがある。企業により売り上げ計上の仕方に差のあることもあるが、ここも同じ原則を守り、ハードの前にソフトがあった。博物館の中で今回ハッと見入ったのが昆布等を運ぶ中心の日本海航路である。北海道と本州の地図がある。地図は北が上に書かれているのが普通であり、最も見慣れている。そして人口の多いのが太平洋側であるから、移動のモノの動きは太平洋を経由して行くものと思っていた。太平洋側を利用しないのは黒潮に流れされて陸地を遠く離れる危険があるからか?。今回北が下になっている地図を見て松前あたりから若狭湾・琵琶湖・淀川ルートの良さが目で見てすぐに頭に入った。「逆にしてみたらどうなのか」は言葉としては知っていたが、目で見ることの素晴らしさを、肌で感じて帰ってきた。

松井義近

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