2008年5月11日 (日)

冨岡製糸場と絹産業遺産群2

(座繰り・・富岡製糸場資料より)

Dsc01290  もう10年以上前になろうか、NHKの「関東甲信越小さな旅」で富岡市を放映していた。テーマは「繭一つ慈しむまち」であり、繭を作るための桑の木を畑に植えて育て、良い桑の葉を蚕に食べさせる養蚕農家の姿を見ていた。私が子供のころは春蚕()、初秋蚕、晩秋蚕と3回飼っていたように思う。春蚕のときは去年の枝に出来た葉を枝ごと切って蚕にくれる。初秋蚕のときは新しい枝に出来た葉を下から積んで蚕にくれる。晩秋蚕のときはさらに上のほうに出来た桑の葉を摘んできて蚕に与えていた。場所によって4回飼っていたところもあったようだ。お蚕は「はいて」(ふ化)から「あがる」()まで4眠(脱皮)する。その間24時間に関係なく、朝から晩まで桑の葉を食べ続ける。桑の葉を食べている時はザーザーとすごい音がする。その世話を良くしないと蚕もいい繭を作らないようだ。

 子供のころ養蚕農家は「外れ」(よくない繭になる)てしまうこともあった。家ではよく「あたる」と聞き、子供心に何故何時もいい繭を作るのか不思議に思い、蚕を飼っていた祖母に聞いたことがある。いまでもおぼえているのは「お子様に対する愛情だよ」という。何が愛情なのかすぐには理解できなかった。考えてみると蚕が4眠の間は朝から晩まで、ということは夜に人が寝ている時間も桑の葉を食べ、桑を食べ尽くす。蚕は頭の上に葉っぱがないと下の葉はもう食べないから腹を空かしてしまうのである。こういう状態が繰り返されると蚕はいじけていい繭を作らないようだ。祖母の言葉の“お子様”というのは蚕のことである。子供や孫も可愛いが蚕にはそれ以上に愛情を注いでいたのだ。

 明治の初めに近代的製糸工場を富岡市に作ったのも、この地が養蚕が盛んで、良い繭がとれたことがある。また七日市の堰を流れていた綺麗な水が利用できることもあったようだ。さらに製糸場の土地が代官陣屋の場所で、手つかずのまま空いていて利用できたとのことである。私はこの付近を城町というのを疑問に思っていたが、この辺に理由があったのかと思う。

 世界遺産登録をした石見銀山の観光に行った。現地のガイドさんが説明してくれたが銀炭鉱の中は説明の空間が長くなりわからなかった。いろいろ説明を聞いたが、江戸時代銀を輸出し、見返りに絹などを輸入していた。もちろん他の物も輸入していたのである。中学時代の国史教科書には天照大神が冒頭に出てきて、耕作・養蚕・機織り・などを人民に教えてくれたと書いてあった。これは古事記からの記述であり、とやかく言うつもりはない。しかしそのような昔から養蚕が盛んであったけれど絹製品は輸入しなければならないとは、機織りのレベルの低さを表すものと改めて明治の初めを考えてしまった。

(碓氷めがね橋)

Dsc01302

 午後は妙義山の表山・裏山を左に見ながら、碓氷峠へと向かった。碓氷峠に鉄道を敷けば繭の産地である長野県・群馬県・埼玉県の物流が大きくよくなることは理解できる。しかし此処は急坂である。いろいろ研究した結果、千分の6あまりの傾斜をアブト式で通すことになったのはよく知られている。今は新幹線でアッという間に通過できるが、めがね橋等当時の施設の美しさと周りの山々の景色にスッカリ見とれてしまった。緑の山には白い山桜が咲いている。めがね橋は国道側から見るのが美しい。意識的に煉瓦の組み方が変えてあるという。よくあの当時ここまで気をつけて作ったものだと感心してしまった。

 養蚕が盛んになれば蚕種製造農家もできる。春蚕だけの時代から年3回以上の養蚕が可能になったのに、蚕種貯蔵施設ができたことがある。当時は天然の「荒船風穴」である。貯蔵能力100万枚を超える国内最大の保存施設であったという。この蚕種紙は下仁田までは上野(コウズケ)鉄道によって運ばれた。今は上信電気鉄道となっているが、明治の産業振興、生糸の生産向上に作られたものであった。蚕のことであるが“良いお子様をつくる”コツは今も共通のようだが、産業のスピードは上がるばかりである。 

                      松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 4日 (日)

富岡製糸場と絹産業遺産群1

Dsc01275

(「まぶし」と繭)

 富岡製糸場等が世界遺産暫定リストに載ったことは聞いていた。自分の故郷であるから登録されればいいなと思っていたが最近は田舎に行く機会もめっきり減り、今回この遺産群に行き勉強する機会に恵まれた。朝早く新宿を出発して早々についたのが甘楽(カンラ)町の小幡(オバタ)である。この町には親戚があり、親の代理で年賀の挨拶に行ったことがある。行った先の家は大きい、大きいということは蚕を飼うための場所が大きいのであって、住む場所はその一部分である。このように家がだだっ広いのが養蚕地帯の農家である。蚕を飼う作業場が2階全体にあり蚕が大きくなると1階まで蚕が占める。小幡の町へ行き鮮明に覚えていたのは道の真ん中に堰があり奇麗な水が流れていることだった。この堰は家事にも使うが養蚕用の器具を洗うのにも使ったに相違ない。私の生家では鏑川まで行って洗っていた。

 ここに「甘楽社小幡組倉庫」がある。子供のころ郷土富岡の民謡ができた。「響くサイレン富岡製糸、糸の日本に最初の工場よ、競う甘楽社生糸で誇り、・・・」と歌っていた甘楽社の倉庫がここに残っていた。甘楽社の製糸工場は上信線富岡駅の北側にあり、協同組合の先駆的なものと言われていた。見学先の倉庫では案内のガイドさんはわざわざ“はきたて”(卵からかえったばかりの幼虫)の蚕を展示してくれ、みんな興味深々で喜んでくれた。昔、蚕のはきたての頃は温かい部屋を作って育てていたので、展示の蚕がかわいそうな気持であった。

 この土地は室町時代小幡氏が治めていた。江戸時代織田信長の次男信雄が二万石で移り七代続いたといわれる。途中で松平家に移ったとのこと。すぐとなりの町のことでも今まで知らなかった。この地の伝統ある養蚕農家も今は3軒しかやっていないとのこと。養蚕農家は輸入絹の安さに対抗できないし、他産業への転出が続いた。

 富岡市にある日本最初の官営製糸場・富岡製糸場へ行く。この工場は正面の門から東繭倉庫が見える。よく前を通り、中をのぞいていたが中に入ったことはない。今回初めてここから工場に入った。しかし初めて入った感覚はない。小学校の5年のころ、ここの工場長の息子がクラスにはいってきた。以後中学の初めまで一緒にキャッチボールをしていた。工場の北に専用の門があり大きな声で呼べば友達が潜り戸をあけて中に入れてくれる。広い場所でキャッチボールをして遊んでいたのである。しかし繰糸場の方には行ったことがない。今回初めて中の見学をすることができた。観光バスをどこで下すかと思っていたら少し離れた所にある上町(カミマチ)の通りである。バスの駐車場は別に作ってあるようだ。観光客が増えれば飲食店などすぐに売り上げが増えるであろうが、市も対応に忙しいと思う。

 この工場は明治5年10月に操業を始めた。文明開化・殖産興業で近代産業の育成を図ったことは分かる。しかし準備して操業を始めるまでずいぶん早い。ガイドさんがおおよそのことを話してくれる。世界の生糸の大輸出国である清国がアヘン戦争で生糸の輸出が激減した。ヨーロッパでは蚕の伝染病で蚕が死に、生糸も蚕種も極端に不足していた。そんな中で開港間もない日本の蚕糸類の需要が高まった。ところが当時それらの粗製や偽造あるいは良しからぬ商人の横行等目に余るものがあり、不信を買ってしまった。これは最近の餃子中毒事件を考えれば、早急の対応が必要であったことが分かる。品質の高い安心して買える生糸類を輸出せねばならない状態であり、富岡を選定し品質の高い生糸を作る工場を造ることとなった。

 造られた東の繭倉庫は長さが104.4m、幅12.3m、高さ14.8mある木骨レンガ造である。柱は30.3cm角の通し柱であるが、太い柱は妙義山の官林の木を切ったほか、中之条奥地の木を切り出し筏に組んで流して運んだとのことである。よくこれだけのものがあったと感心してしまう。そのほかレンガ、漆喰、屋根瓦、礎石等よくやったと思う。それにしてもなぜこんなに大きい倉庫が必要だったのか。当時明治の養蚕は年1回の春蚕(はるご)だけだったという。工場の操業には1年分の繭を買い入れねばならなかったのである。

 工女の募集にも苦労があった。フランス人が工女の生き血を取るというデマが飛び、なかなか応募する人がいなかったとのことである。近代的製糸技術を工女が覚え、全国に普及するために全国から集めた。特に士族の娘が多かった。繰糸工場は300台の釜があり、一人一台の仕事である。この人たちが各地に帰り指導的役目を果たした。官営製糸場の経営も官営~三井製糸~原製糸~片倉工業と推移し、20年前に操業を中止するころは一人で30台の器械を担当していたとのことである。この歴史を見ても操業開始当時の外部環境、困難を極めた開業の苦心、製品の品質管理、人材育成、労働生産性の問題、生産のグローバル化とあらゆる問題を考え実施せねばならない姿がここにもあった。

                          松井義近

Dsc01283(富岡製糸場正面)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

進化、セル生産、理(すじ)

Dsc00866 (新渡戸稲造胸像)

 合宿の講座を3人の講師で担当していた時である。寝る部屋は親しくしていたS氏と一緒であった。彼は横になるなり眠りだし大きないびきをかく。体重はトン単位と言われる人だからいびきもすさまじい。本人は気にして、普段泊まる旅館では別の部屋になっていたが、今回は同部屋。いびきに影響されて眠れない。ところが眠っている彼が突然息が止まるではないか。このまま息が止まるのかと心配してしばらく様子を見ていると、何と呼吸が戻る。結局一晩中そんなことを繰り返していた。

 先日4月13日、NHKスペシヤル「病の起源」を見ていた。あなたのいびきが死を招く、危険な睡眠時無呼吸症で樹木希林さんが担当。昔の人体の担当のときを思い出す人である。今回、人類の起源は約600万年前と言われる。少し前に500万年前と出ていたのが、もうその100万年も前まで実績が研究されたのかと、このみちを知らない私は驚く。その後の長い石器時代の石器、田舎へ行けば石器は簡単に見ることができた。そして美しくもない石とあまり興味も引かなかった。ところがこの石が現代の私たちに大きな影響を与えていたという。その石器を利用してものを刻んだり柔らかくして食べていたのが影響し、顎が発達しなかった。舌は丸くならないで口の後ろにそれる。これが無呼吸症候を起こすという。

 たかが石という道具が人類にこんなにも影響があると知りビックリである。そんなことを考えながら裏庭に出た。南天が群がって生えている。この南天は昔正月の飾りものの鉢を買ってきたもの。正月を過ぎても元気だったので、地に下ろしたものである。鉢の南天がこんなに大きくなり増えたのは大地で育ったからであろう。期間は短いが、その木も育つ環境により変化する。

 身にしみながら見たのがもう一つある。NHKTV第一の「プロフェショナル仕事の流儀」で、山田日登志氏の「よみがえれ赤字工場、これが伝説の再建屋だ、やる気を引き出す秘策」である。山田氏は大野耐一氏に入門したという。この方式は、今までの流れ作業でない生産方式で生産性をあげた。数年前トヨタの工場を見学する機会があった。車は流していたが数台ずつ流す小ロットであった。これなら受注生産に近いやり方と思った。TVで出てきたのは一人で仕上げる「セル生産」方式である。数人で担当し、多工程をやり、自分で考え改善する。人間は自分が向上することに生き甲斐があり、内部組織的にやる気もでる。もちろん仕事を改善し生産性をあげる苦労は尽きないが、喜びは生まれる。

 小売業の場合は、一般的に売り場面積は小さい。しかしやり方は考えられる。利便性からいえば大きい店舗の方が必要な商品を幅広く揃えやすい。そして電気代も広告費も経済的になる。しかし一般商店も品揃えは生活者の生活をテーマ別に絞れば顧客ニーズに合わせられる。さらにもっとも顧客が望む親しみや人のぬくもりというような点で差異が着けられる。もともと多面的な仕事を行い顧客の満足を図るのが第一線の小売業である。理(すじ)は同じものを感ずるのである。

                                松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

熱気あるバレーボール

Dsc01261 (選手紹介) 

藤沢市の文化体育館で、V・チャレンジマッチを見ることができた。女子・男子プレミアリーグの下位チームとチャレンジリーグ上位の入れ替え戦である。4試合あったが時間の都合で全部見ることは出来なかった。スポーツと言えば若いころはもっぱら剣道で、バレーボールの経験はない。この競技で鮮烈に記憶に残っているのは東京オリンピック最後に行われた鬼の大松監督率いる女子バレー優勝戦の試合である。東洋の魔女たちと言われた人たちの試合に息をのんでみていた。魔女たちの拾って拾って拾いまくった姿が鮮烈に頭に残っている。その後バレーの競技も進化した。南氏が考案したといわれるクイック攻撃などがあるが、その南氏の息子さんが「大分三好」のチームにいるではないか。背も大きいのでよく目立つ。ご招待席の良いところで見ることができ目の前の躍動する体がみな凄い。

 「大分三好」と「FC東京」の練習が始まる。私たちの席までボールが飛んでくる。手にとって返そうとボールに触ると結構固い。そんなことを言うとみなさんに笑われるが、サッカーボールよりは滑らかか。選手がボールを打ち込むと火花が出るようなものを感じる。見る場所のせいか今までに感じない迫力がある。試合が始まると大分チームの監督は立ったり座ったり忙しい。チームが点を取ると手をたたいて喜ぶ。競技を冷静に見ている監督もいるが、この監督は一喜一憂しながら選手と一体でやっている感じである。一部リーグに上がれるかどうか、一方は残れるかの試合であり、両者とも熱が入っている。隣の席に大分から一緒に来たと思われる人がいる。黄色い声で大きな声援を飛ばす。「マイブロック一本」、声もタイミングも見事だ。背番号10番の選手はブロックもうまい。ポイントゲッターだ。選手たちはサーブを受ける前に合図を交わし、どう攻める相談しているが中々計画どおりにはいかない。平坦に攻めず、もっと攻撃に変化を持たせたらと思うが、実際は思ったようには運ばぬようだ。

 バレーは点から線へ、線から立体的に動かすという。これは自分でやってみないと理解できない。しかしまず個人が力を持たねばならないが、チームプレイはそれ以上に連携がうまくゆかねば個人の力も発揮できないし、勝てないと思う。考え方は組織論で分かる。経営的には「抑圧を解放するものは売れる」。脳の古い皮質に感ずるものがあるといわれ、

そこに楽しみがある。大分からチームと一緒に来た応援の女性は、一部リーグ入りを果たしチームと共に喜んだ。まさに心を開放して帰ったに相違ない。

                             松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月13日 (日)

自然の「ゆらぎ」のこだわり

Dsc01256_2          (外孫からのチューリップ)

前週の最後に次のように書いた。扇風機の風も自然の風に近いものに「ゆらぎ」の快適性がある。・・個々の店は多様な生活・ライフスタイルの一つを選び生活テーマ別に専業化し、顧客は相互の間に「ゆらぎ」を感じ・・(略)であった。今回は最近の出来事をこの視点で眺めてみる。

長い間室内に置いた観音竹は葉の色が悪くなる。温かくなって鉢を外へ出してみると根が下から出ているではないか。随分経つので土を取り換えねばと思う。苦労して鉢から出したら根っこでいっぱい、土も見えない。観音竹鉢植えは植木にとって不自然である。もっと自然が感じられるように手をかけ、自然のゆらぎが感じられるように育てたい。

近くの幼稚園の先生が定年退職した。そして子供から元気をもらっていたと言われる。確かにそうだ。家は孫達と2世帯住宅で暮らしている。私たち夫婦が友達と会って話をするとき、自然に「おじいちゃん」「おばあちゃん」といっている。友達は「あなた」「私」である。もう少し若い時は流石におばあちゃんと言われると抵抗を感じた家内も、最近は「家は何でも孫が中心の生活をしている」と主張する。世代間にはそれぞれにない固有のものがある。そこには理くつでない自然に近い快適性がある。

4月10日の日経朝刊にセブン&アイ・ホールディングス傘下のデニーズの記事が出ていた。2割強にあたる約130店を閉鎖する方針だという。デニーズについては関心をもって見ていた。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありと平家物語に出ていたが、諸行:全てのもの、無常:常なしで移り変わる、と教えられてきた。一般に腹が減ったら食べる店が多い。このタイプの店は競争が激しく売上げが減少しがちであることは折に触れて述べてきた。一般論であるがファミリーレストランも最初は自分の家より楽しくって料理もおいしい店であった。最近は行っても楽しさを感ずる店ではない。店内・味・サービスに大きく資金を掛けなくても、何か違った「ゆらぎ」を作り変化のある所にすれば、そこには快さがでると思う。

日経4月9日朝刊「やさしい経済学―21世紀と文明」奥野卓司氏記事を読んだ。「パソコン、携帯電話自体は工業製品だから、それが行き渡ったというだけでは工業社会の延長にすぎない。」という。まさに我が意を得たりである。最後の方に「過剰な生産が社会的意味を喪失した時に、その社会は必ず情報社会と化す」とある。金がすべての社会は行きづまると思う。物も機能から生活等の機能を売ることが大切であり、さらに生活や心が豊かになるもの「文化」的なものへと進みたい。私たちが住む社会は、小さくとも意味ある存在として働き、自然の摂理に従った文化の香りのするコミュニティ(協働体)にこそ意味がある。

                   松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

桜と「ゆらぎ」

Dsc01249  (三島大社)

今年の桜は何時もより少し早めに咲きだした。近くの小学校の桜も3月末には開花した。孫の一人は既に中学生、それでも小学校入学のとき桜が咲いていた思い出があるようだ。今年の入学生も入学式まで桜の花が咲いているといいと言う。楽しい思い出は他の人にも味わってほしいと思うようだ。私の時も小学校入学のときは桜が咲いていた。2本の桜の木の間を歩いて教室に行ったことを覚えている。その木は今は校舎の新築で無くなっている。中学に入ったときの校庭の桜は一層素晴らしかった。こんな桜の花を見ながら、新学期に心を新たにしながら励んで来た。

 日本人は桜の花が好きなようである。数年前も京都御所一般公開の見学をかねて吉野山の桜を見に行った。10日過ぎだから少し遅いなと思いながらも、吉野山は奥もあり、下の方までそれぞれ千本桜があると聞くから、下が駄目なら上があるだろうと勝手に思って行った。しかし花は全て散った後だった。その後高遠の桜を見に行った時も、花が咲いていた後の香だけは残っていたが花はなかった。満開の桜には巡り合わず、桜の見物は近くで楽しむだけかと諦めていた。

 今年は伊豆半島の桜を見に行った。たまたま伊豆高原の3キロ続く桜のトンネルは満開であった。松崎の桜並木1,500本も満開である。塩ずけ桜葉はシェア70%で日本一と資料にのっている。川の堤に咲き誇るこの桜の利用なのかと思う。最後の圧巻は三島大社である。参道の桜、池に垂れ下がる枝垂れ桜は見応えがある。冬の寒さをしのぎ、温かくなるや一挙に咲き誇る何十本・何百本・何千本の桜、一個の花でなく一斉に咲く全体の美しさは見事な景観である。

 一方桜は、散り際の美しさが日本人に愛されるという。これが前の戦争中の特攻隊の人の心にあった。若くして国の守りのために逝った先輩や仲間たち、今思えば「もったいない」考えである。戦争中「桜に錨」の帽子の徽章、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」で突っ込んだ人たちへの思いはいつも胸にある。戦後あの人たちがおればやるべきことは沢山あった。

話は移るが、もう十数年前フラクタル理論に興味を持った。自然現象は自己相似的であるという。今でも詳しいことは学んでいないが、フラクタルの概念は、1970年代中ごろブノワ・マンデルブロによって命名された幾何学的概念である。この自己相似的なものの中に「ゆらぎ」現象が広範に存在する。いわゆるフラクタルな現象であるという。扇風機の風も自然の風に近いものに「ゆらぎ」の快適性がある。生活や仕事の考えも、とにかく働いて働いて頑張ろうとやってきた日本、何でも皆一緒、同じようにやる考えが浸透した時代である。物質的豊かさが目について「ゆとり」という考えが出た。今は一律的「ゆとり」から生活や仕事の中に快感を味わう「ゆらぎ」の概念を取り入れたい。それぞれが自分のライフスタイルを持つ時代である。商業活動も広くグローバルに目を開き、一律的やり方から多様な業態作りに進むことが大切だと思う。個々の店は多様な生活・ライフスタイルの一つを選び、生活テーマ別に専業化し、顧客は相互の間に「ゆらぎ」を感じ、それを集合化(ショッピングセンター、商店街)すれば人が集まり、繁栄型集合業態になると考えている。         松井義近

      (参照:非線形科学 蔵本由紀著)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月30日 (日)

実現への思索

Dsc01241  永年経営コンサルタントをやって来て失敗も多かった。なぜその会社はうまくいかなかったのかと考える。先方がこちらの言うことをやらなかったのか。そんなことはない、こちらの問題である。相手は立派な経営者である。少しばかり経営の勉強をした思い上がりの強い人間が何を言うのか。口には出さなくてもそう反発したくなることであろうと思う。コンサルタントは相手の欠点を見つけて、そこを徹底的に改善を図る。考えてみれば当然のことのように思う。しかし、相手にとってみればまずい点を厳しい言葉で聞くのは楽しいことではない。中小企業の経営者は会社と一体である。こちらの言い方によっては自分の身にしみることである。ましてや診断には相手がお金を払っているのである。お金を払っている人は一般的な言葉でいえばお客様である。だが中小企業診断士はもともと公共の診断をやるために生まれたので、お金を払うのは行政機関である。今は制度が改正され、国家試験に合格した民間の経営コンサルタントである。

お医者さんは人間の病気を治してくれる。特に外科的な手術は直してくれる先生に生命を預ける。お医者さんと同様、経営も破産の危険を改革せねばならない時がある。手術をして経営を再生させる。その様な時も含めて本当に経営を強化するためにどうあるべきか。健全な財務体質にすることは大切である。しかしその上に他と競争して企業が勝ち抜けるには、その持てるストロングス(強い点)を発見し、これをいかに延ばすかを考えねばならない。しかし人間は自分のことは自分で分かりにくい、これが普通のようだ。地域の発展も同じようなことがいえる。地域の持てるストロングスをいかに発見し伸ばすか。これにより他との差異化も進み、人々に認められる。人間の場合も、経営の場合も、地域の場合もこれを言う人がいなければならない。これを果たせるのが本当のコンサルタントであろう。そのためには経営コンサルタントも指導的立場にある人も、人間性を向上させ、技術的方法も磨かねばならない。私などがとやかく言える立場ではないが、これについて考え方とありかたを述べたのが「事業強化プログラム」である。

その中は「向上の三式」でまとめた。第一部理念と機会開発。第二部は事業分野ではA個店・B地域、第三部を人材面と大きく三つとした。経験的にいえば、行きづまった時に勉強し実際にやったのは「気功」であった。その考え方で、人材の中に三つのやり方を設定したのが行動特性1,2,3である。1、謙虚に学び志を立てる。浄化・感謝/傲慢・排他 2、ニーズ対応の得意技を磨く。調和・公平/エゴ・偏屈 3.志念エネルギーによる具現。生気・集中/邪気・散漫である。

技術的なことは本プログラムでは第二部で述べることになる。顧客に販売する人はどのように訓練するか。その中に「応酬話法」がある。反対処理の方法 ①直接法(yes おうむがえし法ともいう。②逆転法(but) 話をよく聞き「しかし、そうおっしゃいますが・・」と話す方式。別に話法の基本的なものとして「暗示的な話し方」がある。①肯定的暗示 「その通りです。だから・・」と進める。②否定的暗示 「いいえそんなことはございません。ピッタリです。」と一度否定し、ピッタリで結ぶ方法である。イェスバット法と同類である。イェスバット法は街づくりを担当している久保田弘氏が、最も使う方法と推薦していたが実際に担当しての結論であろう。暗示的な話し方にはこのほか直接暗示、間接的暗示、疑問暗示、逆暗示等の手法も出てくるがここでは省略する。いかにして企業をよくするかはすべての事業について共通の課題である。自分は正しいと思っても相手とよく話し合わねばならないが、スムーズに進めるのは永遠のテーマか。

                          松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月23日 (日)

事業強化におけるサービス

Dsc00904  (洞爺湖)

顧客の買い物行動を見ると、普段(ケ)の買い物はどこで買うか大体決まっている。ある程度高いものを買う時も行ってみるところは決まっているようである。店にとっては固定客になっている。すべての買い物がそうであるとは言えないが、お店の普段の努力が顧客への信頼感となって結びついているといえよう。これは顧客の方では買い物のニーズが生じたとき、その街のその店がファーストチョイス(最初に選ばれる)の店になっているのである。信頼を裏切るようなことがあったり、気に入ったものがなかったりすれば客は離れる。

 企業が事業を強化しようとする場合、核心は何だろうか。顧客が何か買うニーズが生じたときに、それに対してファーストチョイスにならねばならない。競争であり、選ばれる順序の低い方から振い落とされる。このためには業態構築をせねばならない。商業関係の診断・支援を50年近くやってきて、その柱を考えると次のようになった。業態構築の柱 1.情緒的顧客満足(マインド) 2.生活テーマ別専業化(市場) 3.構造的に付加価値を(マネジメント)。それぞれの中はそれぞれ3項目程度になるが、そのなかで企業への質問項目を一つだけ出してみる。1.地域で一番のサービス(商品以外)は何か。2.地域で一番の商品は何か。3.使命感に燃える組織・人材か。である。商品は同じような質・価格なら、何で差別化してお客に訴えるのか。これは商品を売らないお医者さんでも同じである。差別化してファーストチョイスになるサービスが必要である。

 「サービスする」とはお客様に満足していただく努力であり、自分の人間性を伝えることになる。事業は顧客と商品サービスを結びつけるものであり、お客が主体で商品サービスを買うものである。同じ売場、同じ商品を扱っていて、店長が変わると売上が違う。これはサービスが違うといえる。

  よいサービス=自分のつとめ×心づかい

(1)自分のつとめ

 サービスとは元来は自分の果たすべき勤めであり、これをいかに果たすかである。プロと言える人は他人よりも勉強し実地の経験をし、パターンを豊富に蓄えた人で、その道の一流の人である。その勤めを他よりも前に出る熱意で果たさねばならない。まず顔を覚え名前を覚えよう。商品知識とサービストークを身につけよう。熱意は使命感から始まり、なぜかという興味が引き出し、自分の知識が築きあげ、経験と未来の見通しにより信念となる。

(2)心づかい

 ある飲食店の社長が教えてくれました。「店員の対応はお客様に気配りが足りない。来られたお客様は自分が招待したお客と思ってやればもてなす心が出てくる」と。このような心構えの基本が大切である。一般的には感じの良い態度として、まず誠実、日常的に挨拶がキチンとでき、さらにスピードとスマイルが必要である。

(3)個別対応ができる

 これらの上にお客の心や好みが分かり、個別対応できるお客を作っていく。今日一人でいいのだ。明日はまた一人でいいのだ。一人から始めてください。必ず結果が出ます。これが気持ちの良い積極性である。

                                松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

客は誰か

Dsc01000  昭和32年4月、初めて中小企業診断員に登録して暫くたつと、流通革命論が華やかになった。当時、東大の林周二先生から問屋無用論や大型スーパーの予測に魅せられて熱心に話をきていた。問屋はなくなっても問屋機能はなくならないだろうと仲間と話したが、スーパーマーケットは全国にいくつ出来るだろうかと、映画館の数と比較してみたりしていたものである。スーパーは間もなくチエン化し、売れ筋の大量仕入れ大量販売の威力を発揮するようになった。セルフサービスによる一人当たり持つ売り場面積は労働生産性の向上に大きく寄与したのである。

当時から問題として研究対象としたのは生鮮食品である。 野菜や鮮魚をまとめて買っても、市場の値段は安くならなかった。そこで野菜は契約栽培となり、安定した値段で均一した商品を仕入れる分野が大きくなった。国内で安く仕入れられないで、海外市場で仕入れて、安定性を維持してきた。しかし最近農薬の混入等、品質の安定が図れないで顧客から疑問を投げかけられている。

日経ビジネスの08.3.10号に「個店主義が効率を生む」が載っている。紹介された内容は鮮魚を中心としたものであるが、現場の目で店舗ごとに違う顧客ニーズをうまく吸い上げている。一駅先の店舗でも売れる商品は微妙に違う。顧客に合った品ぞろえは口で言うほど簡単ではないが、それに合わせた品揃えは売上に貢献し、売れ残りを防いでいるのである。ドラッカーは「顧客は誰か」を重視し、これを検討することから大きな成果を生んだと述べている。店の立地による顧客をよく知り、それに合わせた経営が出発点である。

「オオゼキ」の鮮魚仕入等における個店主義を、店ごとの商品仕入れの具体例でみる。

「御嶽山店」は田園調布といった住宅地の客も多く、近隣には高齢者も多い。高齢者向き刺身2点盛りは980円で多少高いが質がいいもの、家族向けに刺身6点盛り1,780円、手巻き寿司セット1,280円が陳列されている。

「雪が谷店」は商圏に単身者が多い。盛る数量は少なく、ボリュウムは多く値段も安く398円の刺身がある。

「松原店」は恵比寿や渋谷の飲食店が業務用の食材を買い求める。魚一匹まとめて売る。

「練馬店」の客は安い時にまとめて買う人があり、冷凍品も多いという。

このような個店の事例がみられ、「オオゼキ」全体の営業利益率は7.3%とよい。鮮魚の会社全体に占める比率が分からないが、鮮魚部門の貢献は高いと思う。

一般食品については「高井戸店」の事例があり、4,000種類の加工食品があるという。品目分類で4,000品目ではないかと思うが?。特に注目されるのは、「顧客の嗜好」に合う陳列棚を設けていること。ということは複数問屋から仕入れているものと思うし、一般食品の管理は別にやっていると思われる。「オオゼキ」全体の商品回転期間は3.9日。勿論一日の就業後の在庫であり、ロス管理をしていれば在庫は売価でやっているのが一般的である。それを考慮しても素晴らしい。

 以上特質は鮮魚部門が強いこと。ということは鮮魚担当者が強いのである。「顧客は誰か」を明確にして、そのニーズに合わせていけば、チエン化していない個店主義の店でも十分対応できる事例である。

                      松井義近

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

豊かな暮らし地域コミュニティ

Cimg1001 

1.グローバルに目を開いた地域コミュニティ

・時代が要請する地域協働体

 世界の大きな流れを見ると、稲作農法によりそれ以前に比べ遥かに多くの人が養えるようになった「農業社会」がある。次いでジェームス・ワットによる蒸気機関の発明から、産業革命がはじまり工業社会が到来した。一部資源は別であるが、今や物はあふれるばかり出来る。人々は物だけの世界に満足しなくなった。目に直接見えないサービスが大切になった。サービス社会に進んだと思われので、時代が要請するサービス社会に必要な活動を行うことが必要である。考えが内にこもると旧構造に縛られ進化しない。閉鎖的になると昔に逆行してしまう。考えはグローバルでありたい。

中国の最近の様子を見ると、共産党の一党支配のもと市場経済を導入し、GNPは毎年2ケタの伸びをしていると報じられている。経済のあり方を世界に目を向け、外部資本も入れ、安い労働力を使って大きく伸びてきたのである。

  街と住民がそれぞれ意味ある存在

 地域コミュニティは商店街やその地域に住む人たちの協働体である。お店の立場でいえば活力ある後背地(ヒンターランド)がなくては成り立たないことは自明である。地域住民にとっても気に入ったお店があることは有難いことである。お店には來街者の増加は必要であり、コミュニティの住民には緑があり花がある等、楽しく散歩できる街は歓迎される。このような街・住民は両者が一体となってやらねば実現しない。一体となるのが地域コミュニティである。

2.場の中で自分の特質を生かし働く

・ 地域は解決すべき問題の集合体・・コミュニティビジネス

 地域は解決すべき問題の集合体であることは企業と同じである。これを解決するために利益追求を第一とする考えでうまく解決できるだろうか。もう一方の純粋ボランティアの活動で長く続くだろうか。ここでコミュニティビジネスが出てくる。

  課題解決

コミュニティビジネスの目で問題を見ると

① 地元ストレングスから

 地域の名物、観光、伝統工芸、定年退職者の技術等が考えられ、土地の歴史・風土と人たちをよく知ることから始まる。

② 環境美化

 カブトムシが住む森、緑が楽しめる場所、四季の花が楽しめる場、常にゴミ一つない清掃されている場。

③ 雰囲気促進行事

 祭りのサポート、イベント企画、地域情報誌の発行等。住民が参画しともに働く協働により作り上げる。

 お互いをよく知り、その力を出せる場となれば、地域の人は「いきいき生きる」

 街作りで特別な開発を除き、今までのような大きな資金を投入しないで街づくりをしたい。日本の現在の経済状況を見ると、高額の借入金はその返済に行きづまる恐れがある。

3.人々が心豊かに暮らす向上の場

・ 相互信頼

 中国は孔子の考えを大切にしてきた国、人の道を説きそれを求めてきたと理解してきた。したがって私たちは中国の人々を信頼してきた。然し最近の中国は食品問題等、道義なき国家としか見られないのは誠に残念である。貧しい人も地方に多いようだが、そうでないない豊かな人も多い。尊敬できる中国になってほしいと思う。日本人だって同じと言えるかもしれないが。

  一人ひとりの底力

 今コミュニティに住む人々を見ると、みんな力を持っていると思うが、一人ひとりは個性がありみな違う。しかし趣味の会、スポーツ等出来ることから始めればグループを作ることは可能である。自分たちの手で一人ひとりの底力で作り上げねばならない。

 かつてドラッカーはこのようなコミュニティを作るのに日本の大企業に期待していた。しかし利益追求の企業にこれを期待することはムリと述べていた。コミュニティビジネスは企業とボランティアの中間に考えられている。軍隊的縦の組織でなく、ともに働く協働体の横組織になると思う。

  地域は子供が育つ土壌である

明るく緑豊かな地域の文化で子供は育つ。ストレスの多い世の中であり、心のケアが大切である。緑豊かな街並み・地域は「健康で心豊かな暮らしの場」となる。近くに図書館などがあれば地域のセンター的役割もできよう。

                            松井義近

| | コメント (1) | トラックバック (0)

«事業モデル構築7.構造的に付加価値を